乙武さん
「手足なくても心強いパートナー」
と妻にいわれ涙
女性セブン
2011年3月24日号
postnewseven
この4月、乙武洋匡さん(34)は、共同経営者のひとりとして『まちの保育園 小竹向原』(東京・練馬区)をオープンさせる。
500万部を超す大ベストセラーとなった『五体不満足』(講談社)から13年が経ち、乙武さんも2児の父親となった。すっかり父親ぶりが板につき、育児にも積極的にかかわっているという。「先天性四肢切断」という重度の障害を持つ乙武さんの手足は短い。
「妻にも『いろいろ手伝えなくてごめん』と謝ったときがありました。そうしたら妻が、『ママ友たちの話を聞いていたら、手足があるからって、世の父親は必ずしも育児を手伝ってくれるわけじゃない。
手足があるのにやってくれないとなるとイライラもするけれど、あなたの場合はもともとないんだから、腹もたたないし、かえってそっちのほうがいいわ。それより、精神的にしんどかったりするときに、話を聞いてくれるパートナーがいるほうがよほど心強い』と。ぼくは涙が出ました。妻に感謝しっぱなしですよ」(乙武さん)
1才にして父親のトイレ
でのお手伝いをする
女性セブン
2011年3月24日号
postnewseven
この4月、共同経営者のひとりとして『まちの保育園 小竹向原』(東京・練馬区)をオープンさせる乙武洋匡さん(34)。自らも2児の父親である乙武さんに、子育てについて話を聞いた。
基本的にぼくはひとりでトイレには行けないので、妻の介助が必要なんですよね。ということは息子も一緒で一家3人が狭いトイレに結集することになる。毎日毎回妻のその姿を見ていたからだと思うんですが、ある日、息子がぼくのパンツに小さい指をかけ、力いっぱい引っ張って脱がせてくれたんですよ。妻は「自分はおむつなのに、人のトイレの手伝いをする1才児って、まあいないわよね」って笑ってたんですが。
その後も、毎朝枕元に眼鏡を届けてくれるようになり、ひげそりまで手伝ってくれるようになりました。着替える前の5分間が、そのひげそりタイム。息子が「お父さんのひげはぼくがやる」といって電動ひげそりを両手で握って固定してくれるので、ぼくは顔を上下左右に動かして、ちょうどいい場所をあてるだけですむんです。
そこでようやく気づいたんですよ。たぶん障害のない父親のもとで育った1才半もしくは2才くらいの子供なら、こんなに人の手伝いをしようという気にならないのではないかなあと。父親がしてあげられることは少ないけれども、だからこそ彼は彼なりに何かを感じたり、学んでいることもあるのかなあと。そういう意味では、何かを物理的にしてあげるというのが子育てではなくて、こういうぼくの存在、ぼくとのかかわりによってぼくなりの子育てができているのかなあと。
恵まれた教育に“恩返し”
2011.3.28
47news
記録的なベストセラーとなった著書「五体不満足」で知られる作家の乙武洋匡さん(34)は2007年から3年間、小学校教諭として勤務。その経験を生かし、今春からは、東京都練馬区にオープンする保育園の運営に携わる。子どもたちとの関わりを通じて「重い障害を持つ自分に自己肯定感を育んでくれた周りの大人たちへの恩返しをしたい」と考えている。
愛情の恩返し
生まれつき両腕両脚がない生後1カ月のわが子と初めて対面した時、ショックで倒れるのではないかという周囲の心配をよそに、母が口にした言葉は「かわいい」だった―。このエピソードに象徴される両親の子育てが、乙武さんの教育観の原点となった。
「父も母も、僕の障害に関わらず、目いっぱい愛情を注いでくれました。これだけ重い障害を持ちながら、卑屈になることなく、自己肯定感を持って育つことができたのは、愛され、大切にされていることを、両親をはじめ、周囲の大人たちがいつも感じさせてくれていたからだと思います」
教育に携わる決意したのは、03~04年に相次いで起きた、小中学生による殺人事件がきっかけだった。
「事件を起こした子どももかわいそう、という気持ちを禁じ得なかった。人殺しになろうと思って生まれてくる子なんていない。幸せになりたいと願って生まれてきた彼らが出していたサインに、周りの大人は気づいてあげられなかったのか。いかに僕が周囲の大人に恵まれていたかをあらためて感じて、今度は自分が、大人の立場で、恩返しをするべきではないかと思いました」
小学校教諭として
当時はスポーツライターとして活躍していたが、大学に再入学して小学校教諭の免許を取得し、07年4月、都内の小学校に赴任。「自己肯定感を育む教育」を実践するとともに、保護者にもその大切さを訴えた。
「4年生の『二分の一成人式』という授業で、保護者に用意してもらった手紙を読んだ子どもたちが『こんなに大切に思ってくれてるの知らなかった』と号泣するんです。親は、子どもを愛しているのは当たり前と思って伝えないけれど、子どもはメッセージを欲している。恥ずかしがらず、面倒くさがらずに言葉や態度で示してほしい」
放課後は保護者に電話をするのを日課にした。
「普通、学校から電話が掛かってくるのは『何かやらかした時』かもしれませんが、僕は、学校で子どもが何かをがんばった時、ほめてあげたいことがあった時に電話していました。苦手な逆上がりを一生懸命練習したとか、引っ込み思案な子が委員に立候補したとか。結果が出たことは通知表に書くことができる。でも、結果に結び付かなかったがんばりを保護者が知らないままではもったいない」
小学校教諭として3年間の契約期間が終わるころ、新たな夢が生まれた。
「教師をしていて気づいたのは、一番大事なのは家庭だということでした。学校でいくら教師が奮闘しても、家庭が安定しないと、落ち着いて勉強することもできない。もっと家庭に近い位置にある教育機関で子どもたちのために力を尽くしたいと思っていたころ、保育園の開園を目指す友人と出会い、一緒にやろうということになりました」
4月にオープンする保育園は、隣りに一般の人も利用できるカフェを設けるなど、地域住民との交流を促す仕掛けが特徴だ。「今の子どもたちは、成長過程で接する大人に偏りがあるのではないか。もっと幅広い層の大人たちと接することで豊かな人間性を育んでいけたら」
自身も08年に長男、10年に次男が誕生した。
「長男は1歳半のころから、自然に、僕がトイレに行ったり、ひげをそったりするのを手伝ってくれるようになりました。オシメを替えたり、風呂に入れてあげたりしてあげられないことに無力感を持ったこともあったけど、父親がこういう体だから、そんなやさしい気持ちを持つようになったのだとしたら、それも一つの子育てかなと思います」
現在3歳になった長男は父親譲りのサッカー好き。休日、公園で一緒にボールを追い掛けるのが楽しみという。
乙武 洋匡
(おとたけ ひろただ)
1976年4月6日 35歳
東京都出身
スポーツライター
■外部リンク■
乙武洋匡公式サイト
乙武洋匡ツイッター
略歴
東京都新宿区出身。先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。東京都立戸山高等学校、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。
大学時代に早稲田のまちづくり活動に参加。このまちづくり活動を取材したNHKの番組出演がきっかけで、障害者としての生活体験をつづった『五体不満足』を執筆し、出版。屈託のない個性と「障害は不便です。
しかし、不幸ではありません」と言い切る新鮮なメッセージがあいまって大ベストセラーとなった。この『五体不満足』は一般書籍の部数記録としては2010年現在で日本第3位の記録を持っている(出版科学研究所調べ)。また学生時代から報道番組にサブキャスターとして出演。2000年2月に都民文化栄誉章を受賞。
大学卒業後は、スポーツライターとしてジャーナリズムの世界に手を広げ活躍しつつ、2005年、新宿区の非常勤職員として「子どもの生き方パートナー」に就任。
また同年より小学校教諭免許状を取得するために、明星大学通信教育課程人文学部へ学士入学し、教員の道への足がかりとした。教員免許状取得を思い立ったのは、以前からの教育への関心に加え、長崎男児誘拐殺人事件などをきっかけに、子どもの人格形成に大人がどのような責任を負っているか問題意識を抱いたためという。
2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月より2010年3月31日まで杉並区任期つき教員として杉並区立杉並第四小学校に勤務した。
私生活では、2001年3月結婚。2008年1月3日に第1子(長男)が誕生。2010年7月9日に第2子(次男)が誕生。 自身のTwitterによると、身長107cm、体重38㎏とのことである。
(wikipedia)
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