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by amor1029

2011年 06月 15日 ( 6 )

★(写真つき)【【伝説のヒーロー】】:タフマン伊東が8年ぶりに復活!!喜劇に取り組み続けた73歳、伊東四朗が演じるタフマン伊東の復活CMは話題に・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:ヤクルト タフマン, タフマン伊東, 伊東四朗, ベンジャミン伊東, てんぷくトリオ, デンセンマン


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タフマン伊東が
8年ぶりに復活!!

2011.6.14
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30周年を迎えたヤクルトの栄養ドリンク「タフマン」。“実は誰もがみんなタフマン=心がタフな人である”というコンセプトのもとおなじみの「あんたがたタフマン♪」のサウンドロゴとともにあの男が帰ってきた。普通の人々の人生が詰まった喜劇に取り組み続けた73歳、伊東四朗が演じるタフマン伊東がCMを振り返る。


「当時、住んでいた吉祥寺の駅のそばでタフマンのCM撮影をやったことがありましてね。女房がたまたま通りがかって、人だかりをのぞきこんだら、派手な衣装を着た私と目が合っちゃった。家に戻ったら、お父さんも大変ねっていわれました(笑い)」(伊東氏)


「タフマン」のCMに伊東氏が登場するようになったのは1985年のこと。以来、2003年まで20年近くコミカルで強烈な個性を放つキャラクターを演じてきた。あれから8年、今年タフマンはリニューアルし、伊東氏のCMが復活する。


製造元のヤクルトによる調査の結果、顧客の抱くタフマンのイメージは、地球の内部からわきあがるエネルギーを視覚化した初代のタフマンマーク、「あんたがたタフマン♪」のサウンドロゴ、そして伊東四朗氏、の3つに集約されることが判明。これらの復活が決まった。


ヤクルト本社業務部企画調査課・小室伸之氏は語る。「ちょうどタフマンが30周年を迎えるということもあり、大号令のもとにプロジェクトチームが結成されました。タフマンというと肉体的なタフさを想起されると思うのですが、今こういう時期だからこそ、日本人は心のタフさを誰もが持ち合わせている、という価値観を共有できればと考えています」


「青天の霹靂というか。私の中でタフマンっていうのは50代までと思っていたからね」今回のCM出演依頼には驚いたというが、「私が50代でこのCMをやってる頃、『広告批評』の天野祐吉さんがいってくれたんですよ。伊東四朗がこういう奇抜なCMを還暦過ぎてもやってたら褒めるって。それが70過ぎて、もうすぐ喜寿でやってるんだから、うんと褒めてほしいな」と笑う。


破天荒なベンジャミン伊東をはじめ、『おしん』『伊東家の食卓』のお父さんなど数々の記憶に残る役柄を演じてきた伊東氏は話を続ける。
「喜劇の中にすべてがあると思っているんです。シリアスなものも、奇抜なものもすべてある。変な人も出てくるし、普通の人も出てくる。だからこそ喜劇って成り立つんです。開演前はいつも今日のお客さんはどんな人たちだろうかと舞台の袖から見ています。いまも毎日が勝負ですから」 (週刊ポスト2011年6月24日号)



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伊東四朗
(いとうしろう)
本名 伊藤 輝男
生年月日 1937年6月15日(73歳)
出身地 東京都台東区
血液型 O型                 
師匠 石井均一座
出身 浅草の軽演劇
トリオ名 てんぷくトリオ(相方三波伸介 (初代) 戸塚睦夫)
事務所 オルテ企画
活動時期 1958年~



人物
てんぷくトリオ

東京府下谷区竹町(現在の台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。戦時中は静岡県掛川市に疎開していた。東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業後は就職を希望し数多くの面接を受けるも、目付きが悪い、人相が悪いことを理由に不採用が続いた(過去のTV出演時の本人コメントより)。1958年、早稲田大学生協職員だった当時、石井均一座の舞台を見に足繁く通っていたため、一座の役者が伊東の顔を憶えるほどになっていた。そんな経緯もあり、石井一座の役者から「君も(舞台で)やってみないか?」と誘われ、石井一座に参加。同期には財津一郎らがいた。


最初の芸名は、師匠の石井均に「いとうにしよう」と言われたことから「伊藤証(いとうしょう)」であったが、ポスターなどに名前が連なる時に、名前が一文字なため、先輩より目立ってしまっていけないということで、「伊東四朗」と改名した。石井一座は、浅草の松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。新宿時代、一座の戸塚睦夫が元々軽演劇の仲間であった三波伸介と夜間キャバレーの営業に出ていたが、三波が大阪に行ってしまったために、一座の伊東が三波の代役で営業に参加(この頃伊東は、三波伸介という芸名を使うことがあった)。


のちに三波が東京に戻ったため、三人で営業用のトリオを結成。石井一座解散とともに正式にてんぷくトリオ(当初「ぐうたらトリオ」)を旗揚げした。軽演劇の流れを汲むコントで、舞台・テレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして、茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。


1970年頃、『笑点』の札幌公演において、当時司会の前田武彦が天候不順で来られなくなり、急遽代理として三波伸介が司会をしたことがあった(その時の司会が好評で、三波は後に正式な司会に抜擢)。その際、座布団運びの代理は伊東が務め、伊東が正式な座布団運びになっていた可能性もあったというエピソードがある。


1973年に戸塚睦夫が42歳の若さで逝去し、てんぷくトリオの活動に困難が生じるも、三波と2人で「てんぷく」の名を守った。1972年から毎週日曜日に、三波らと共に出演していたNHKの『お笑いオンステージ』内「てんぷく笑劇場」での活躍が代表的である。


電線マン
1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名での活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、テレビ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや「電線音頭」でのベンジャミン伊東(この名前の由来は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンから)、『笑って笑って60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。小松と2人で生み出したギャグがいくつもあるが、正月によく流れる琴による演奏の『春の海』を口で表現する「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん。ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」は伊東のオリジナルである。


また、「ずん」や「ニン」、「どーかひとつ」といったギャグも有名になった。「ベンジャミン伊東」としてのスタイルは、藤田まことら古くからのコメディアン仲間から「あいつはバカになったのか!?」と驚嘆されるほどのインパクトがあり、小林信彦からは大いに絶賛された。それまで「てんぷくトリオ」のサブ的役割だった伊東が、にわかに芸能界で存在感を示し始め、1979年には『ザ・チャンス!』(TBS系)の3代目司会者に抜擢された。
「ベンジャミン伊東」のキャラクター案は、伊東が自身の威圧的な顔にコンプレックスを持っていたため、「怖い顔でも面白い人はいないのか?」と考えた時に、「サーカスの団長」が思い浮かんだ事が発端となっている。


喜劇役者として
1982年12月8日、盟友・三波伸介が52歳の若さで急死、伊東は訃報を聞いた際、三波が安置されている病院に向かい、報道陣の問いかけに「(三波の遺体を触った際に)まだ温かいんですよ。温かいもんだから死んだ気がしなくて…」とショックを受け、葬儀でも号泣した。「てんぷくトリオ」は早くも伊東だけとなってしまう。翌1983年、NHK連続テレビ小説『おしん』の父親役に抜擢され、同ドラマが大ヒット。


以後、活動の中心を俳優業に変え、シリアスな演技もできる実力派としての評価を得て、活躍の場を大きく広げた。また、俳優業のほか、バラエティ番組の司会も数多く担当する。数多くのドラマで父親役をやってきた事や、『伊東家の食卓』などのイメージで、他の芸能人からは「お父さん」と呼ばれる事も多い。


自らを「喜劇役者」と位置づけており、いつまでもそうあり続けたいと語る。「三波も戸塚も死んだが、てんぷくトリオは解散したものではない」とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎、関敬六、また渥美清や由利徹といった、浅草喜劇出身の役者たちがこの世を去った今、『浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい』という思いと、『彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい』との思いが年々強くなっている。


1997年に、後輩の三宅裕司、小倉久寛らと共演したオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』(2002年・2010年にも上演)が好評だった流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇・軽演劇の舞台を再現してみようと、2004年、試みで『伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演』(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)を上演した。


この公演は当日券を求める客があふれるほどの大好評となり、多くのリクエストを受けて、翌2005年に『伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜』を上演、こちらも好評を博した。その後、2006年・2007年には伊東が参加しなかったため、「熱海五郎一座」と銘打って活動する。2008年には再び伊東が加わり「伊東四朗一座」として公演を行う。


2009年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」が上演された。現在は年1回のペースで活動。伊東四朗一座の舞台公演作品はDVD化もされている。このほかにも舞台公演は精力的に行っている。角野卓造、松金よね子、佐藤B作・あめくみちこ夫妻らとともに「西荻窪エリアでお酒を飲みながら語らう会」(西荻の会)を結成し、実際に西荻窪エリアで酒を飲みながら語らっていたが、ある時会の外から「このメンバーで芝居を」との提案を受けたことから2011年、本多劇場にて西荻の会による介護コメディー『ロング・ロスト・フレンド』を公演することになった。
(wikipedia)










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by amor1029 | 2011-06-15 10:32 | 芸能人 ウラ・オモテ話
★【【 Hがうまそうな男の職種 ランキング】】分析すると、「女性への愛撫を連想させる手つき」「女性を丁寧に扱ってくれそうな繊細な仕事ぶりが・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:セックスドラッグ, セックステクニック, 婚外セックス, セフレ, セックスアンドシティ, セックスボランティア, セックスできない男, バイセクシャル


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Hがうまそうな男の職種

2011.6.13
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a0028694_9205259.gif一見、「なぜこの職種が!?」と思うようなものが多く並んでいる印象だが


堂々の1位に輝いたのは、寿司職人(12.9%)。生モノを優しく握る手つきに「一本気でマジメ。丁寧なイメージ」(26歳)、「微妙な力加減を心得ているはず」(28歳)と人気が集中。妄想はとどまることを知らず、「常にまな板を清潔にしているから、行為のあとも丁寧に拭いてくれそう」(23歳)、「貝類を握っているとき、手×ンを連想してしまう」(29歳)とまで来ると、沈黙するしかない……。「一度は女体盛りをしたことがありそう」(21歳)って、それはテクニックと関係ないんじゃ?


また、騎手も11.1%と僅差で健闘した。「『お前、動け』などと言わず、延々と自分で腰を動かしていそう」(28歳)など、腰の丈夫なイメージが勝因となったようだ。さらに「馬の反応を見るように、こっちの反応を見て乗りこなしてくれそう」(26歳)、「調教されてみたい!!」(28歳)と、Mッ気のある女性のハートを奪っている様子。一方で「ふだん馬の背中にアソコが押しつけられているのでアソコ自体はどうなのかな? 押しつけたり温めるとよくないっていうし」(29歳)と、男性機能を心配する声も。余計なお世話である。


同率で3位だったのは、パン屋と生協配達員(7.4%)。前者は「生地をこねながら、おっぱいの揉み方を研究していそう」(21歳)、「普段は寡黙な職人なのに、いきなりガバッと胸を揉んでくる手つきがエロそう。そのまま、パンこね台の上で……」(25歳)と、頼んでもいない官能小説を披露してくる人も出る始末。とはいえ、「こねる行為=パイ揉み」という連想は、まぁ想像に難くない。気になるのは後者なのだが……。


電話一本で駆けつけてくれる仕事ぶりに対して「女性に尽くしてくれそう」(26歳)というかわいらしい意見もあったにはあったのだが、「団地妻とHしまくっていて経験が豊富そう」(28歳)、「生卵やオリーブオイルを使ったプレイをしてきそう」(24歳)。真面目そうなのに実はアブノーマル……なんてギャップを妄想するのが楽しいのだろうか。


その下に順位をつけたフレンチのシェフは、「手先が器用そう」(26歳)というのは理解できる。しかし「女性のアソコのにおいもブルーチーズとかで慣れていそう」(22歳)って、だからそれ、テクニックと関係ないですから!


住職は「『お前の観音様を拝みたい』と言いそう」(29歳)、「跡継ぎは除く。自ら出家した人はそれほど煩悩が多く、性欲も強そう。そのことに罪悪感があって変態性が期待できる」(25歳)と、一休さんも顔負けのトンチというかひねりの効いた回答には、もはや頭が下がる。
そして弁護士は「言葉責めがうまそう。イク(勝訴)まで許してくれなさそう」(27歳)、「舌を使う職業なので、ク×ニがうまそう」(24歳)と、舌鋒の鋭さに濡れている女性が多い模様……。


以下、引越し屋は「筋骨隆々で荒々しいHをしてくれそう」(28歳)、バーテンダーは「シェイクで手首が鍛えられているので長時間の手×ンも大丈夫そう」(25歳)、自衛隊員には「ほふく前進で迫られたい」(27歳)だ、そうだ。


トップ10圏外だった職種も意外性に富んでいるが、なかでも創造性を感じさせたのは「電車の運転手は、始まりから到着まできちんと速度を計算してくれそう。アナウンスもバッチリ」(29歳)という回答であった。


いかがだっただろうか。無理やり分析を試みるとすれば、「女性への愛撫を連想させる手つき」「女性を丁寧に扱ってくれそうな、真面目で繊細な仕事ぶり」「肉体のたくましさ」などが、トップ10に並んだ職種の共通点といったところか。彼女たちの妄想力の豊かさ、たくましさに畏怖の念すら感じた、記者であった。




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by amor1029 | 2011-06-15 09:29 | 恋愛・結婚
★【【【 福島原発 義援金・補償金問題 】】】:福島で、生活保護被災者への義援金・補償金の収入認定めぐり混乱、地元弁護士会が改善要望も・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:福島原発 義援金, 東電 保証金, 生活保護法, 生活保護条件, 生活保護受給条件, 生活保護支給額


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福島で生活保護被災者への
義援金・補償金の収入認定めぐり混乱
地元弁護士会が改善要望も 

2011.6.14
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福島県の一部自治体で、東日本大震災関連の義援金配分、原発事故の仮払補償金支給などに伴って生活保護が廃止ないしは停止されるという事例が出ている、と「東経オンライン」では報じたが、この問題をめぐって、福島県弁護士会は、福島県、および同県内の生活保護実施機関に対し、「被保護世帯の立場に配慮した取扱い」を求める要望を行った。


今回の震災に関して、生活保護の被保護世帯が受ける義援金の取扱いについて、厚生労働省は5月2日、「東日本大震災による被災者の生活保護の取扱いについて(その3)」を各自治体などに通知し、「被災者の事情に配慮し、適切な保護の実施に当たるよう」に、柔軟な対応を求めていた。


従来、義援金などの生活保護制度上の収入認定の取扱いは、被保護世帯の自立更生のために当たる金額を収入として認定せず、それを超える金額を収入として認定することが定められている。これに関して、同通知では、自立更生計画を策定するうえで、当座の生活基盤の回復に充当されると考えられる第1次義援金などの使途を品目ごとに個々に計上せず、包括的に一定額を自立更生に充てられるものとして同計画に計上することを認め、その際、使途確認の必要はない、という見解を示している。 


しかし、現実には、福島県内の一部自治体では、義援金や東京電力からの仮払補償金支給が行われたのを受けて、硬直的とも受け取られかねない生活保護支給の停止措置の動きが出ていた。


たとえば、停止措置を受けた南相馬市の男性Aさんは、義援金などによる支出項目の作成を自立更生計画として求められたものの、それに応じなかったため、生活保護の停止措置を受けた、という。そして、「義援金、補償金は収入だから生活保護が受けられないというのならば、義援金、補償金を返したい」と訴える。心臓などに3つの病気を患っており、生活保護が停止となれば、その医療費が生活に重くのしかかるからだ。


一方、飯舘村でも、所定の支給日である6月3日に、一部被保護世帯に生活保護費の口座振り込みがなされなかった。その2週間ほど前に、相双保険福祉事務所から、義援金、補償金を収入と位置づけて、場合によっては生活保護を廃止しかねない、と受け取れる通知が届いていただけに、一部の被保護世帯には大きな動揺が走っていた。


ところが、「6月10日になって、県から金融機関の事務ミスで振り込みができなくなっていたという知らせがきた」と、この問題に取り組んできた同村会議員の佐藤八郎氏は苦笑いを浮かべながら説明する。
 

福島県の浜通りなどの地域では、震災の被害も甚大で、かつ、原発事故による避難措置という厳しい状況に置かれている。もちろん、自治体、保険福祉事務所も過去には経験したことがない混乱の中にあることは間違いないが、そうであればなおさら、生活保護実施機関が被保護世帯に対して、きめ細かい配慮を行う必要もあるだろう。これから第2次義援金、補償金支払いなどが行われるなかで、同様の問題がくすぶり続ける可能性はある。 




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by amor1029 | 2011-06-15 08:28 | 原発・地震損害賠償
★【 福島原発 義援金・補償金問題 】東電からの補償金が生活保護基準を超えると、保護は打ち切り? 飯舘村の被害者を悩ます新たな難題が・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:福島原発 義援金, 東電 保証金, 生活保護法, 生活保護条件, 生活保護受給条件, 生活保護支給額


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義援金、東電からの補償金が
生活保護基準を超えると、
保護は打ち切り?

飯舘村の被害者を悩ます新たな難題 

2011.5.24
toyoukeizai


東京電力福島第一原発事故を受けて、計画的非難区域の指定を受けた福島県飯舘村では、村民による村外への避難移動が相次いでいる。5月18日現在、住民台帳ベースで6587名の全人口のうち、村が手配した施設への避難66名、自主避難3166名と、ほぼ半数の住民が避難した。


このように、数字上では順調に進展しているようにも見えるが、個々の住民の間には、別の深刻な問題も発生し始めている。その1つが、小学生など通学の問題だ。学校も避難対象となったため、現在、村では近隣の川俣町の学校への転校を進めているが、避難者の中には、近隣の自治体ではなく、遠隔地の猪苗代町、蓑輪町への避難を余儀なくされた人たちもいる。それらの地域から川俣町の学校まで、村役場では通学バスを活用し、小学生から高校生まで通学するという仕組みを作った。


しかし、「通学時間は片道で1時間半にもなる。小学校児童には厳しい」という声も村民の間から出始めている。政府による飯舘村に対する避難措置の発動が他の自治体よりも遅かったため、飯舘村では川俣町や福島市、二本松市など、比較的近隣の自治体内の避難住宅の確保が困難化した、という事情がこの背景にはある。


飯舘村の住民を悩ませている問題はこれだけではない。一部の住民には深刻な問題が発生している。それは5月20日前後に福島県相双保健福祉事務所から送られてきた一通の通知書によってもたらされた。その内容は、「収入認定額及び年金等で一定期間(6カ月)生活できる場合には、生活保護が廃止となります」とされている。


要は、今回の震災、原発事故に関連して、各種義援金、東電からの補償金(仮払金)を収入と見なし、生活保護を受けている住民が生活保護基準を超える「収入」を得たとされる場合には、生活保護の対象から除外する、という趣旨だ。 


義援金、東電からの補償金は、震災、あるいは原発事故の被災者、被害者に対して支払われたもの。当然、被災者、被害者として、通常とは異なる出費に直面している。にもかかわらず、それらのおカネまで「収入」と位置づけて、生活保護を打ち切るということに、生活保護受給の住民のみならず、他の住民からも怒りの声が上がっている。他の自治体でも、同様の事態が発生していることは間違いないだろう。


飯舘村では、作付けを禁止されたため、早くも田畑は荒れ始めた。しかし、社会保障制度でこのような冷たい対応がなされれば、どうにか踏ん張っている民心も荒れかねない。





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by amor1029 | 2011-06-15 08:20 | 原発・地震損害賠償
★【【山下俊一教授 (長崎大学)】】:「ミスター大丈夫」山下教授が「避難したほうがいい」と言いだしたという(週刊現代6月18日号)・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:山下俊一 長崎大学教授, 長崎大学 山下俊一教授, 山下俊一 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー, 山下俊一 アドバイザー, 山下俊一 福島原発問題


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「ミスター大丈夫」
山下俊一教授が
「避難したほうがいい」
と言い出した!!

週刊現代6月18日号


「年に100ミリシーベルトを浴びても大丈夫」としていた専門家が、最近ややトーンダウン気味。安全説に変わりはないのか。それとも現状の前に主張を変えたのか。信じがたい発言の真意とは・・・・。ご本人の談話とあわせて検証する。


事故発生から約3ヵ月、福島第一原発から撒き散らされた放射性物質で、日本の国土は汚染され続けてきた。子供たちを含む人々の健康についても、被爆量の上限が年間1ミリシーベルトから20ミリに変わったり、さらにまた1ミリに戻されたりと迷走続き。国や専門家に対する国民の不信と不安は頂点に達しつつある。


その中で、ずっと“安全説”を唱えてきた識者が山下俊一・長崎大学教授(58歳)だ。被爆医療が専門で、事故発生直後から福島県の放射線健康リスクアドバイザーを務める山下教授は、メディアや講演で、「(年間のひ学両が20ミリを大幅に上回る)100ミリシーベルトを超えなければ発がんのリスクが高まることはない」「(福島の現状では)ただちに健康に影響はない。外出時にマスクを着ける必要はない。子どもが外で遊んでも大丈夫」


「ぜひ(福島の)皆様方に安心と安全を伝えたい」などとさかんに発言してきた。

「福島、有名になっちゃったぞ」



教授の発言の中には、「福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、なんでも福島。これは凄いですよ。もう広島、長崎は負けた。・・・何もしないのに福島有名になっちゃったぞ」「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。くよくよしている人に来ます。」


「避難したければ、好きに避難してください。ただ、避難できる場所がありますか?」といった、真意がわかりにくい発言もある。


とにかく、「山下先生はあまりにも安全性を強調するので、福島では『ミスター大丈夫』『ミスター100ミリシーベルト』と呼ぶ声もあるほど」(地元の新聞記者)だという。


こんな山下教授のスタンスに対し、「年間100ミリシーベルトを浴びるのは慢性(長期間)なので、原爆のように一瞬で浴びる場合より影響が少ない。年間の100ミリは一瞬の20ミリに相当するレベル。つまりCTスキャンで浴びるのと同程度です。怖がるような数値ではありません。」(中村仁信・大阪大学名誉教授)と同調する意見もある。しかし一方で、あまりに楽観的な主張に少なからぬ批判も出ているのだ。


日本大学歯学部専任講師の野口邦和氏は言う。山下教授は『年間100ミリ以下では発がんのリスクは高くならない』などと発言していますが、確かに、100ミリ以下の被爆で発がんのリスクが高まることを示すデータはありません。あるのは100ミリ以上でがんになる人が増えるデータだけ。


しかし、『データが無い』とは、『わからない』ということであって、『安全』を意味するのではない。100ミリ以下というのは、まだよく解明されていない領域で、実はがんのリスクが高まる可能性もあります」


リスクが大きいという予想と、小さいという予想の両方がある場合、前者を探るのが予防原則だ。リスクを小さく見積もって、想定より大きな問題が生じれば、取り返しのつかない事態になりかねない。


矢ケ崎克馬・琉球大学名誉教授はこう指摘する。「放射線によって人体には、血便や脱毛、皮膚の変色いった『急性症状』と、10年後、20年後の発がんとして現れる『晩発性の症状』の両方が出ます。急性症状に限れば、確かに100ミリ以下では出ません。


しかし内部被爆によって、晩発性の発がんの確立は高くなるんです。山下さんがこれを知って『安全だ』と言っているのなら、住民を騙していることになるし、知らないのなら、きわめて大きな不勉強と言われてもやむを得ません。」


このように、“安全派”の最右翼とされる山下教授だが、実は最近そのスタンスが微妙に変わりつつあるらしい。「山下先生は、5月に入った頃から危険性も少しずつ話すようになった」「福島では安全性ばかりを強調するが、それ以外の場所では『線量が強くなったら避難した方がいい』などと語り始めた」といった指摘の声が上がっているのだ。


確かにこのところ、「安全という言葉は安易につかいません。私は皆様方に少しでも安心してもらえればということなんで」「将来のことは誰も予知できない。神様しかできない」「(国が基準値を20ミリシーベルトにしたことについて)私は皆さんの基準を作る人間ではありません。皆さんへ基準を提示したのは国です」


・ ・・・などなど、方針転換とも取れる発言をしているのだ。事態は、山下教授の予測を超えて深刻さを増しているのか。あるいは、それを目の当たりにして教授は自説を変えつつあるのか。ご本人に聞いた。


軽い気持ちではなかった。「確かに表現に気をつけるようになりましたが、僕の主張は一貫して『100ミリ以上で発がんリスクが増える』で、以前も今も変わっていません。福島でも他の場所でも同じことを話しています。


僕がぶれているのではなくて、周りの受け止め方が変わったのではないでしょうか。現場には専門家が少なく、さまざまな情報が飛び交っているため、住民の不安を煽る形になっているんです。

 
僕は福島県や福島県民を応援し、その医療崩壊を防ぎたい。だから『正しく怖がろう』と説明して、落ち着きを取り戻して」ほしいと考えていました。実際、医学的根拠に基づいた僕の説明で安心した方も多いはず」


―――――――「福島という名前は世界中に知れ渡ります」「もう広島、長崎は負けた」という発言に違和感を覚えた人も多かったのでは?


「今後、福島という地名を名乗るには覚悟が必要になる。だから頑張ろうと皆さんを励ます意図で言いました。それが伝わらなかったとしたら僕の不徳の致すところですが、広島、長崎、福島の3都市が一緒に世界に平和を訴えていこう、と呼びかけたつもりでもあります。決して軽い気持ちではありません」


――――――「放射線の影響はニコニコしている人には来ない」とは信じがたい話です。

「動物実験などで実証されているのですが、過度に緊張していると自律神経の作用で放射線の影響を受けやすくなります。リラックスしていれば、それが少なくなる。ただ、一般の人に説明しても理解しにくいと思い、わかりやすい表現を用いました。科学的に根拠のある話しなんです。」


もちろん、今回の放射線の飛散がどれだけの健康被害をもたらすかは、将来にならなければわからない。ただし、山下教授でさえも慎重な言い回しを選ぶようになってきたことは、この問題の深刻さ、未解明部分の怖さを示している。将来ある子どもたちのためにも、リスクは大きく見積もるべきだ。それが科学者として真摯な態度と言えるのではないか。






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山下俊一
やましたしゅんいち

山下 俊一(やました しゅんいち、1952年生 - )は日本の医学者。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長、同研究科附属原爆後障害医療研究施設教授。福島県放射線健康リスク管理アドバイザー。

経歴
長崎市生まれ。被爆二世。
1978年 長崎大学医学部卒業
1984年 長崎大学大学院医学研究科博士課程修了
1989年 医学博士
1990年 長崎大学医学部教授。
2003年 長崎大学永井隆国際ヒバクシャ医療センター所長を兼務
2004年12月15日 世界保健機構(WHO)環境と健康局放射線プログラム専門科学官に2年間派遣される
2009年11月5日 日本甲状腺学会理事長に就任
2011年4月11日現在、原子力損害賠償紛争審査会委員

受賞歴
1985年 米国Los Angeles Research Fellow賞
1986年 米国内科学会研究奨励賞
1986年 米国糖尿病学会Research Fund
1990年 第3回ノルディスク成長ホルモン研究奨励賞
1991年 平成2年度工藤学術財団研究奨励賞

研究分野・加入学会・研究プロジェクト
専門分野: 内分泌学(内分秘・代謝学)、環境影響評価・環境政策(核医学)、分子生物学(分子生物学)
加入学会: アメリカ甲状腺学会、アメリカ内分秘学会、日本甲状腺学会、日本内分泌学会
現在実施している研究テーマ: 放射線と甲状腺、遺伝子診断と治療、国際医療協力
・2002年 21世紀COEプログラム「放射線医療科学国際コンソーシアム」国際医療協力・疫学調査プロジェクト/緊急被ばく医療プロジェクト:プロジェクトリーダー
・2007年 グローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」拠点リーダー

研究・著作
博士論文"Glucose Stimulation of Protooncogene Expression and
Deoxyribonucleic Acid Synthesis in Rat Islet Cell Line"(ラット膵ラ氏島β細胞における糖代謝異常と細胞増殖)、長崎大学、乙第931号、1989年3月31日CiNii論文

福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとしての活動・発言
福島第一原子力発電所事故を受け、2011年3月19日に福島県知事の要請により高村昇教授とともに福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任、4月1日、福島県立医科大学理事長付特命教授の辞令が交付される。官邸に助言を行う原子力災害専門家グループの一員となる。(wikipediaより)



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by amor1029 | 2011-06-15 06:50 | 山下俊一 長崎大教授
★【【山下教授に解任要求署名】】:「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩さず、福島原発のリスクを軽視していると・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:山下俊一 長崎大学教授, 長崎大学 山下俊一教授, 山下俊一 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー, 山下俊一 アドバイザー, 山下俊一 福島原発問題


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「安全・安心説」を唱えている
山下俊一教授 (長崎大学) 
解任要求署名運動

福島原発のリスクを軽視していると 

2011.6.14
yahoo


福島第1原発から放射性物質が放出されて続けている問題で、一貫して「安全・安心説」を唱えていると受け止められている識者が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授だ。


1年間に許容される被曝量として「20ミリシーベルト」という数字が議論になるなか、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩していない。これが「リスクを軽視している」と批判を浴びており、NGOは、解任を呼びかける署名活動を始めている。


山下氏は、長崎市生まれの被曝二世。1991年から約20年間にわたって、チェルノブイリやセミパラチンスクでの被曝者治療に携わっている。


05年から2年間は、世界保健機関(WHO)のジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めている。福島県の放射線リスク管理アドバイザーには3月19日に就任し、県内の講演会で「放射能を『正しく恐れる』ことが大事」などと説いている。




「年間100ミリシーベルト」の評価

山下氏に対して解任要求をしているのは、FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO。6月10日に菅首相や佐藤雄平福島県知事に宛てた要請文の中で、(1)特に放射線量が高い地域において、避難・疎開・夏休みの前倒しを促進すること(2)子どもを含む県民の内部被ばく検査の実施、など4項目を要求。

そのなかの一つに、山下氏の解任が入っている。要請文では、「低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しています」と山下氏を批判。署名活動を7月6日まで展開するという。


山下氏の発言で主に批判が集中しているのは、「100ミリシーベルト」の評価と、住民を避難させる範囲についてだ。例えば、5月3日に、福島第1原発から50キロ以上離れた福島県二本松市で行われた講演会では、山下氏は「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている。100ミリシーベルト以下は分からない。明らかな発がんリスクは観察されていないし、これからも、それを証明することは非常に困難」と発言。


「二本松は危険だから逃げろ」という声があることについては、「とんでもないこと」と反論。「皆さん、現実、ここに住んでいるし、住み続けなければならない。広島、長崎もそうだったし、チェルノブイリもそういう状況。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみ。


このような現実をもって話している。国の指針が出た段階では、国の指針に従うのが国民の義務だと思うので、そのような内容でしか答えられない」と発言し、「国の指針に従うのが国民の義務」という発言が、さらに地域住民の反感を読んだ模様だ。



「30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめ」

その後も、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは確認出来ていない」との立場を崩しておらず、5月24日発売の「週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間」の中では、「1回、100ミリシーベルト浴びると、例えば細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞に傷が1個できます。100個の傷にはときどきエラーが起きますが、1個の傷は体がすぐ治します。遺伝子は傷がついても治るという生物学的な生命現象が大前提としてあるので、僕は、微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」と主張。


「潮」11年6月号では、「原発の放射性物質によってがんにかかりうるといっても、がんは日本人の3人に1人がかかる病気だ。確率論的に誰にでも起こりうる病気なのに、『放射線のせいでがんにかかる』と心配して生活を台無しにしても仕方がない」とも述べている。


ただし、住民を避難させる範囲については、前出の朝日ジャーナルの中で「僕は飯舘や浪江、川俣の一部の数値が高いのを見て、自主避難ではだめだ、きちんと命令してあげないといけないと言ってきたんです。国に対しても、30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめだとも言ってきました」と述べており、講演会での発言との整合性を問われる可能性もある。


6月13日に行われた福島県議会の特別委員会でも、山下氏のアドバイザー解任を求める声があがっており、今後も波紋は広がりそうだ。





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山下俊一
やましたしゅんいち

1952年生、日本の医学者。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長、同研究科附属原爆後障害医療研究施設教授。福島県放射線健康リスク管理アドバイザー。

経歴
長崎市生まれ。被爆二世。
1978年 長崎大学医学部卒業
1984年 長崎大学大学院医学研究科博士課程修了
1989年 医学博士
1990年 長崎大学医学部教授。
2003年 長崎大学永井隆国際ヒバクシャ医療センター所長を兼務
2004年12月15日 世界保健機構(WHO)環境と健康局放射線プログラム専門科学官に2年間派遣される
2009年11月5日 日本甲状腺学会理事長に就任
2011年4月11日現在、原子力損害賠償紛争審査会委員

受賞歴
1985年 米国Los Angeles Research Fellow賞
1986年 米国内科学会研究奨励賞
1986年 米国糖尿病学会Research Fund
1990年 第3回ノルディスク成長ホルモン研究奨励賞
1991年 平成2年度工藤学術財団研究奨励賞

研究分野・加入学会・研究プロジェクト
専門分野: 内分泌学(内分秘・代謝学)、環境影響評価・環境政策(核医学)、分子生物学(分子生物学)
加入学会: アメリカ甲状腺学会、アメリカ内分秘学会、日本甲状腺学会、日本内分泌学会
現在実施している研究テーマ: 放射線と甲状腺、遺伝子診断と治療、国際医療協力
・2002年 21世紀COEプログラム「放射線医療科学国際コンソーシアム」国際医療協力・疫学調査プロジェクト/緊急被ばく医療プロジェクト:プロジェクトリーダー
・2007年 グローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」拠点リーダー

研究・著作
博士論文"Glucose Stimulation of Protooncogene Expression and
Deoxyribonucleic Acid Synthesis in Rat Islet Cell Line"(ラット膵ラ氏島β細胞における糖代謝異常と細胞増殖)、長崎大学、乙第931号、1989年3月31日CiNii論文

福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとしての活動・発言
福島第一原子力発電所事故を受け、2011年3月19日に福島県知事の要請により高村昇教授とともに福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任、4月1日、福島県立医科大学理事長付特命教授の辞令が交付される。官邸に助言を行う原子力災害専門家グループの一員となる。(wikipediaより)



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by amor1029 | 2011-06-15 06:19 | 山下俊一 長崎大教授