ベートーベンのへぇ~話
2004年 09月 01日
ベートーベンの生涯
Ludwig van Beethoven(ルードウィヒ・ファン・ベートーヴェン)は1770年にドイツのボンで生まれ、宮廷歌手であった父親の英才教育で4歳からピアノを始めました。6歳になると演奏会を開き、14歳の頃からは宮廷楽師としてオルガン奏者となったのです。その後ハイドンの教えを受け、その才能を開花させていきました。
前途有望だったベートーベンですが、28歳の頃から耳の病に侵され、次第に音が聞き取れなくなりました。その病は、自殺を考えさせるほど深刻な問題でありましたが、絶望からはいあがったベートーベンは、交響曲第3番『英雄』、第5番『運命』、第6番『田園』など、次々と素晴らしい曲を発表しました。しかし病はさらに悪化し、交響曲第9番が創っていた頃には、もうほとんど聞こえなかったといいます。
では、人の話も聞こえなくなり、筆談帳を持ち歩いていたベートーベンが
どうようにしてピアノを使い作曲したのか?
実はある道具を使いピアノの音を聞いていたのです。
ある道具とは棒のことで、棒の一方を口にくわえ、もう一方をピアノに押し付けると、棒を通じてピアノの弦の震動が頭蓋骨に伝わってくる、こうやってピアノの弦の音を感じていたのである。おそらく、有名な「交響曲9番」なども、棒をくわえながら作曲したと考えられています。
こうして多くの名曲を創り出したベートーベンですが、1827年に57歳の若さで死去しました。その死因は肝機能不全とか神経梅毒という説が長い間有力でしたが・・・。
実は2000年に本当の死因がわかったのです。
その本当の死因とは?
2000年10月、ベートーベンの遺体から取った毛髪をサンホセ州立大学のベートーベンセンターが分析した結果、通常の約百倍の鉛が検出されたそうです。死因は肝機能不全とか神経梅毒でなく、鉛中毒だったのです。当時のドナウ川上流は工場地帯で、そこからかなりの鉛を含んだ工場排水が流れ込んでいて、川魚が大好物だったことから、ドナウ川の鉛で汚染された魚を食べての中毒ではないかと言われています。また難聴になったのも鉛中毒の可能性が高いそうです。
最近は応援が少なくて・・・・(ノ_・。)備考: ベートーベン クラシック音楽 ベートーベン名曲 鉛中毒 ベートーベン研究センター