★埋葬の違いとタブー⇒イスラム教徒に火葬は最大の侮辱
2005年 01月 14日
スマトラ沖地震で亡くなられた方の数があまりに多かったため、一時、遺体を火葬にしていましたが、イスラム教徒からの猛抗議により土葬にかえたという話がありました。宗教により葬儀・埋葬法も違います。是非読んでみて下さい。
イスラム教では、誰かが亡くなるとイマーム(イスラムの指導者)を招木、コーランを唱え、神(アッラー)に「許し」と「慈悲」を乞うのです。そのあと、遺体を清浄な白布で包み、モスクか墓地に運び、頭をメッカの方向に向けて埋葬します。
仏教と違い、仏になるわけではないので、死者を拝んだりしません。また墓地は神による最後の審判で、復活が許されるまでの待機場所に過ぎないので、墓標もない土盛りだけでもかまいません。ただし復活するために、遺体は必要なので土葬でなくてはならないのです。
イスラム教徒は火葬を忌み嫌います。「火」はアラビア語で「ナール」と言いますが、これは『地獄』を意味する言葉でもあるのです。またコーランの教えで、アッラーを信仰しない者、不義をはたらいた者は復活は許されず、火地獄で永遠の責め苦を受けるとされてます。
そのため、スマトラ沖地震で亡くなったイスラム教徒の遺体を火葬することに猛抗議したのです。これではアッラーの教えにそむいたために地獄の業火に焼かれ、復活できない「悪人」と同じ扱いになってしまうからです。
最大級の侮辱の言葉は何だと思いますか?
↓
なんだそうです。( ̄□||||!!
ヒンドゥー教にとって、現世はいくつもの生の1つにすぎず、人はみな前世があり、来世が待ち受けているとされる。人間の生は車輪のようにつながっており、現世のあり方を決定するのは前世の業であるわけです。
業とは人間の行為に他ならず、人間は善行をすれば来世では必ず報われるとされ、最終的には何度も繰り返す輪廻の世界から抜け出して天上の楽園で暮らすことが理想とされている。
人の死については、イスラム教と正反対で遺体は現世での形が残らないように火で焼き尽くされることが理想とされています。ヒンドゥー教では魂は焼かれることによって天に登り、遺灰を近くの川に流すことで自然に還リ、新しく生まれ変わることができると信じられています。
死期が近づくと神父を招き、「病人への塗油」の儀式を行い罪の告白を受ける。亡くなるとミサが行われ、その時聖体拝領がある。遺体は正装するか、身なりをきちん整えて棺に納め、墓地に埋葬する。
カトリックでは遺体を重視するので埋葬と決められていたが、環境が許さない場合もでてきたので1963年には火葬も認めた。プロテスタントの場合は葬儀も個人の自由、火葬についても第二次世界大戦前からわずがではあるが行われていた。
紀元前4世紀頃から高まりをみせたユダヤ人の宗教である。モーゼの律法を中心に旧約聖書を拠り所とし、ユダヤ人だけが神から選ばれた民として神の国を地上にもたらすメシアの到来を信じています。
ユダヤ教にとって死は肉体を土に、魂は神のもとに還るということである。遺体は清浄な白布に包んで埋葬することになっている。ただし、異教徒とは別に定められた墓地でなくてはいかない。
葬儀は伝統的には、死から埋葬までの間、遺族は身につけている服や黒布を引き裂いて悲しみをあらわし、肉食、飲酒、SEXを断たなけらばならない。
管理人の何よりも励げみとなる、応援のクリックをお願いします!