★童謡・・『赤い靴』にはあまりに悲しい実話があった(ノ_・。)
2004年 12月 29日

作詞・・・野口雨情 作曲・・・本居長世
赤い靴 はいてた
女の子
いじんさんに つれられて
いっちゃった
よこはまの はとばから
ふねにのって
いじんさんに つれられて
いっちゃった
いまでは 青い目に
なっちゃって
いじんさんの お国に
いるんだろう
赤い靴 みるたび
かんがえる
いじんさんに あうたび
かんがえる

実在の人物だったのです。
・・・・・・・あまりにも悲しく哀れな実話があったのです・・・・・・・
赤い靴をはいていた女の子の名前は、岩崎きみ。明治35年(1902年)7月15日、日本平(にっぽんだいら)の麓(ふもと)、現在の静岡市に生まれた。母は岩崎かよ、父親は不明、つまりは私生児だった。
母かよは18才の時には両親は他界しておらず、頼れる身内もいなかった。当時、未婚の母となることは恥ずべきことであり、親類からも白い目を向けられた。それに耐えられなくなった、かよは、逃げるようにして当時2才のきみを連れ、北海道、函館に移り住んだ。
かよは駅前の土産店に勤めながら、細々ときみを育てていた。その頃、かよは青森県出身、4才年上の鈴木志郎という青年と知り合い、その後結ばれた。しばらくして夫の志郎に「開拓農場に入植しないか」という誘いがかかった。
すぐさま、志郎は一行に加わる意志をあることを伝え、妻かよも同行することになった。しかし、かよは過酷な未開地に幼いきみを連れていくことが気がかりだった。未開地には水も電気もなく、医者もおらず、日々の食糧を手に入れられる保証すらなかった。そのうえ、山野には狼や熊などもおり襲われる危険の中で暮らしになるのだ。
ある日、かよは知人からアメリカ人の宣教師夫妻(チャールズ・ヒュエット夫妻)が養女探していることを耳にした。複雑な思いの中、きみの将来のことを考えると、過酷な未開地で生きるよりも、立派な宣教師夫妻のもとで育てられたほうが幸せであると思い、心を決めた。
未開地に出発の前日、かよは泣く泣く宣教師夫妻にきみをたくしたのだ。・・・・こんな悲しい実話がもとになっている童謡なのです。あまりに悲しく「赤い靴」が歌えなくなりました。。。
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