★【 島田紳助 最新情報 】:イチローのユニホームも贈呈??
2011年 09月 02日


【紳助ツッパリ列伝】
紳助さん“てっぺん”への
道のりはすべて計算ずく
放送作家・古川嘉一郎
2011.8.31
zakzak
後輩であるダウンタウンの漫才を見て「これはもう勝てない」と、紳助はわずか9年間で竜介とのコンビを解消。今度は司会業でトップを狙おうと作戦変更に出る。
ところが昭和61年に予期せぬピンチが訪れる。紳助30歳の夏。持病の胆石を摘出。ついでにやった盲腸の手術で腸閉塞と腹膜炎を併発する。やんちゃ坊主に罰が当たったのか。
痛み止めの麻酔の注射針を脊髄に入れたまま3週間の絶対安静(筆者も見舞いに行ったが、面会謝絶で会えなかった)。この大病がその後の紳助の人生観に大きな変化をもたらしたに違いない。
「勝てない戦いは避ける」「常に2番手をキープする」などの信条はこうして生まれた。そしてまた一歩ずつ階段を登り始めた。活動範囲も広めた。『風よ、鈴鹿へ』の小説を書き、『風、スローダウン』という映画も撮った。
司会術の磨き方も紳助流。ある時は参謀役に徹し、ある時は大将として前に出る。テレビメディアも使い分けた。東京では番組進行に徹し、大阪では自ら楽しんでバラエティー番組を仕切った。すべて紳助の戦略だった。

引退時、レギュラー番組6本をかかえるまでにのしあがった紳助は、単純なやんちゃ人間ではなかった。すべては計算ずくの道のりであった。
だが、このやんちゃ人間の完ぺきだったはずの計算に破綻が生じた今回。彼はどんな思いでいるのだろうか。新聞もテレビもトップニュースで報道するという騒ぎ。こんな皮肉な形で島田紳助の存在証明が果たされたことになるのだが、まだ余波はありそうな気がする。

イチローのユニフォーム
贈呈との情報
週刊ポスト
2011年9月9日号
newpostseven
8月23日、「黒い交際」により芸能界引退を発表した島田紳助は、問題となった暴力団幹部のB氏との関係について、10数年の付き合いで会った回数は「4、5回」と説明した。しかし、ある山口組関係者は一笑に付す。
「B氏と紳助は家族ぐるみのつき合いで、年に何回かは会っていた。イチローが大リーグに行った直後には、紳助がB氏に『僕、イチローのユニフォームもらってきますから』といってご機嫌をとっていた。その後、本当に紳助がプレゼントしたのかはわからないが、B氏の組事務所の部屋にはイチローのマリナーズのユニフォームが飾られていた」
また、紳助は、窮地を救ってくれたB氏への恩義を忘れず、ことあるごとに連絡をとっていた。B氏も、紳助が副業の飲食店をオープンするたびに顔を出していたといわれる。例えば、紳助が4年前にバーをオープンした際には、店を訪れ、祝儀代わりに料金以上の金を支払ったこともあったという。
また、紳助はB氏と直接会う機会は少なかったものの、B氏の関係者からいろいろと面倒を見てもらっていたとの証言がある。
「東京では、B氏の組の枝(傘下団体)の若い子が、よく紳助を羽田空港からテレビ局まで送っとったよ」(元山口組関係者)会見で「自分の中でセーフと思っていた」と語った紳助だが、実際には“ズブズブ”の関係だった。

紳助さんヤバすぎる!
“暴露本”を絶対出せない
ウラ事情
2011.8.31
zakzak
“黒い交際”発覚で芸能界を引退した元タレント、島田紳助さん(55)。現役のころは、お笑い分野だけでなくプロデュース業や財テクに長けた才能を生かした多くの著作で知られた。当然、引退と同時に“告白本”“暴露本”の依頼が殺到しているかと思いきや、出版社がソッポを向いているという。そのワケは?
『ご飯を大盛りにするオバちゃんの店は必ず繁盛する』『株・不動産 知識ゼロからの金儲け』『自己プロデュース力』『島田紳助のすべらない沖縄旅行ガイドブック』『ぼくの生き方』『えせ田舎ぐらし』『いつも心に紳助を』…著書のジャンルは多岐に渡る。
今年2月には『島田紳助100の言葉』を出したばかり。この中で、自分の生まれてきた理由として《我々は特に大きな使命も無く生まれているのだから、せめて楽しく生きよう》と自説を述べつつ、《現に私が引退しても、誰も困りません。急に辞めるから困るだけで一年後に辞めると言ったら何も困りません》と引退を示唆するような記述もあった。
それはさておき、実は23日の引退会見にも、数々のタレント告白本を仕掛けてきた名物編集者や、敏腕ゴーストライターの姿があった。引退で伝えきれなかった“黒い交際”の真相を自ら綴れば反響がありそうだが、具体的な話は進んでいないという。

そう語る大手出版社の書籍担当編集長。理由を続ける。「昨年出た、酒井法子の“告白本”の売れ行きが期待外れだったことが大きい。当事者しか知り得ない薬物事件の真相への突っ込み方が足りなかった。
今の人は、玉石混淆のインターネット情報に踊らされ、よほどの暴露がないと売れない。10月に施行される暴力団排除条例をにらんで、一般人に“裏社会”との付き合いの恐ろしさを具体的に啓蒙するような内容なら売れるかもしれないが、ヤバすぎて…」“恩人”への忠義を誓ったかのような紳助さんの会見を見れば、確かに望み薄か。

島田紳助
「大阪府知事選出馬」か
「暴排条例違反で逮捕」か
2011.9.1
j-cast
島田紳助突然引退の波紋はまだ収まりそうにない。文春が先週号で速報し、今週発売の各誌が取材を競っているが、内容が一番充実していたのは朝日だった。この春に編集長が交代して一時元気がなかったが、福島第一原発幹部の手記あたりから弾みがついたようである。
今回は大阪府警が作成した捜査報告書を入手して、紳助が渡辺二郎(元ボクシング世界チャンピオン。07年にタレント羽賀研二と医療関係会社の未公開株売買を巡って知人男性から約3億7千万円をだまし取ったとして、恐喝未遂で起訴。現在、上告している)へ送ったメール106通を全文掲載している。朝日によれば、紳助引退までの経緯はこうだと、複数の吉本興業関係者が証言している。
「情報提供があったのは、8月13日だったと聞いています。しかし、それ以上は社内でも厳重な箝口令が敷かれていて詳細はわかりません。ただ、事態を重く見た吉本上層部は、吉本興業社外取締役の原田裕弁護士を含む複数の幹部で構成される調査チームを立ち上げ、約1週間にわたって『羽賀渡辺裁判の関係者』と直接、接触するなど徹底した調査をしたそうです。
その結果、協力者の情報が大阪府警の捜査報告書に基づいていることがわかり、そこに記されている内容の信憑性も高いと判断した。結局、21日に紳助さん本人の聴取に踏み切ったのです」
紳助のメールがズラッと載っているが、興味深いのは紳助のメールにたびたび「自分は気が小さい」という言葉が出てくることだ。
「昨日は精神安定剤のんでねました 弱いです私は すいません いつもたよってばかりで!」「自分の気の小ささに やになります」「気のよわい私は相変わらず下痢ですが」55歳で引退することを予感していたようなメールもある。
「いよいよ今週で50歳になります、そんな歳になるなんて夢にも思わなかった、一番したかった事してきます、好きな南の島巡り、リックサック持って、宮古島、多良間島、石垣島と渡り私の店のテラスで夕陽見ながらカウントダウン待ちます いっぱい涙して、あと五年好きに生きます」
文春は警視庁、大阪府警が紳助の逮捕を視野に入れていると書いている。これは福岡県や大阪府で先行施行されている「暴力団排除条例」に抵触するからである。大阪府警の捜査4課関係者はこういっている。
「強制捜査で橋本会長(紳助が私淑している山口組のナンバー4=筆者注)の資金源を洗ったところ、紳助から会長への金の流れが確認されたのです。この時、『もうすでに紳助は極心連合のフロント、いわゆる企業舎弟にまでなって、暴力団の世界にどっぷり浸かっているのではないか』という疑いが生じました」
本物のヤクザよりもヤクザらしいお笑い芸人の今後は、都知事を狙う、いや、大阪府知事かもしれないという噂が飛び交っている。世の中がそんな甘いところであることは、淫行で事情聴取され、暴行で書類送検されたお笑いタレントが宮崎県知事になれたことでも証明されている。どちらにしてもこの騒動の余震は長く続きそうである。

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