★【島田紳助 最新情報】吉本興業と山口組の100年の関係
2011年 08月 29日
天下を獲った吉本興業と
山口組「100年の関係」
2011.8.27
cyzo
島田紳助の電撃引退から数日がたち、会見で語られなかった真実が次々と明らかになっている。そうした中で徐々に浮かび上がる島田と山口組系暴力団との親密な関係。だが、そもそも吉本興業と山口組には、明治期から関係があったのは歴史的事実といえる。現在、組織同士のつながりはないとは言え、100年のよしみから個人的な付き合いに発展した輩は島田ひとりだけではないだろう。そこで今回の記事では、共に天下を獲った吉本興業と山口組の因縁浅からぬ関係を紹介したい。
明治40年頃、山口組初代組長の山口春吉は、神戸の港に沖仲士としてやってきた。沖仲士とは船舶の荷揚げ荷下ろしを行う労働者のことである。春吉は、持ち前の頑強な肉体と寡黙な人柄で人望を集め、神戸にやってきて数年後、沖仲士仲間を集めた労働者組織のリーダーとなった。これが後の山口組へと発展していくことになる。
一方、吉本興業の出発は明治45年。吉本吉兵衛・せい夫妻の寄席経営に始まる。無名の落語家や流派に属さない漫才師を一手に引き受け、さまざまな演目を披露することから人気を集め、次々と点在する寄席を買収。起業から10年余りで、上方演芸界を掌握するほどに成長した。
神戸山口組と吉本興業の接点は、お互いにそれぞれの地域で頭角を現して来たころになる。
今からおよそ100年前に当たる大正初期、港湾労働者を集めて山口組を組織した春吉は、対立していた労働者組織の瓦解や三菱商船などとの大口契約という幸運に恵まれ、一気に組織の規模を大きくした。ついに神戸港の顔役にまでなった春吉は、日々過酷な労働を続ける労働者をねぎらうため、浪曲や漫才といった寄席を開くことを決めた。その依頼先が同じ関西圏で勢力を伸ばしつつある吉本興業であったのは言うまでもない。
大正14年、春吉の長男・登が山口組2代目を襲名すると、さらに吉本と山口組の関係は密接になる。港湾ビジネスを先代に任せた登は、浪曲興行に本腰を入れ、興行主の吉本から用心棒や地ならしを請け負う。このころ始まったラジオ放送の普及とともに、浪曲や漫才は全国的なブームとなり、両組織の全国進出の足場を作ったと言える。
さらに昭和になると両者の関係はより密接なものとなる。東京進出を図る吉本興業は、当時浅草で人気のあった浪曲師・広沢虎造を吉本の専属にしたいと2代目登に相談した。これを快諾した登は、広沢のマネジメントを手がける浪花家金蔵と話をつけ、一定の制約の元に、広沢が吉本の専属となることを取り決めた。
しかしその数年後、広沢は無断で下関の籠寅組(現在の合田一家)の制作する映画に出演することを決めてしまう。これに激怒した吉本側は、登に籠寅組との調停を依頼。登は、広沢の映画出演を白紙に戻させることに成功したものの、その後の話し合いの際、籠寅組に襲われ重傷を負ってしまう。昭和17年、登はこのときの傷が元で永眠する。
2代目の死後、戦中戦後の混乱を極める時代、山口組は組長が不在だった。ようやく3代目に田岡一雄が襲名したのは昭和21年。実業家としても名高い田岡は、先代、2代目の培ってきた芸能関係者との関わりをより深くし、昭和33年、神戸芸能社を設立。美空ひばりなどといった昭和のスターたちの興行権を一手に握る芸能プロモーターとして活躍した。だが、やがて時代は興行からテレビの時代へ。有名芸能人たちのメインステージがお茶の間のブラウン管に移ると、興行先でのチケットの分配や地ならし、用心棒といった仕事を請け負っていたヤクザ組織と芸能事務所の関係は希薄になっていく。
テレビやラジオのない時代、人々の大きな娯楽であった興行寄席。あらゆる地方に出向いて芸を披露する彼らにとって、その先での安全や安心を約束してくれる組織はなくてはならない存在だったといえる。しかし現代社会において、ライブなどといった興行を安心して行うのにヤクザの力は必要ない。芸能関係者がヤクザと付き合うのにメリットはないと言えるだろう。
だが、そもそも芸人やタレントにも、どこか"ヤクザな雰囲気"がある。それは一般社会では生きていけない類の人々がまとうものと言える。島田の引退で、吉本側はヤクザ組織との関係を真っ白と示したつもりだろうが、いくら組織同士の付き合いが皆無とはいえ、似たもの同士による個人的な交際は、今後もなくならないだろう。
紳助さまの引退の真相と、
カリビアンで年に1000億稼ぐ男の話
村西とおる
(AV監督)
2011.8.28
muranishi
先々週、この覧で「諸般の事情によりブログを書くことがままならなくなりました、よろしければ“まぐまぐ”の有料サイトへご登録いただき、そちらの方のブログをお読みください」と誠に勝手なお願いを致しました。
そうしましたところ信じられないことに沢山の方にご賛同いただきました。一週間分の登録者数が“まぐまぐ”の最強メンバーである“ホリエモン氏”と肩を並べる程の多さとなったのでございます。
驚きました。手前どものようなロクデナシのブログにかくも多くの皆さまにご協賛いただいたことを深く感謝致しております。この場をおかり致しまして改めて心よりのお礼を申し上げる次第でございます。
これからも皆さまのご期待を裏切らぬよう、精進して参る所存でございます。何卒末永いご愛顧の程、お願い申し上げます。
「俳優は男子一生の仕事にあらず」と語られたのは、かの石原裕次郎さまでございます。島田紳助さまも「しゃべくり屋は男子一生の仕事にあらず」と「引退」をなされたのでございましょうか。
引退記者会見直後には少なからず「惜しい」との声も聞かれておりましたが、その後「吉本×警察」のタッグによる紳助さまにとって「好ましからざる情報」のリークがあり、だいぶ風向きが変わってきているようでございます。
「惜しまれて引退」あるいは「いさぎよい引退」と思われていた一幕が「この世に代役のきかない人間など一人もいない」とのコトワザ通りの展開となって、幕を降ろしそうな気配でございます。
「人の噂も七十五日」あるいは「去る者日々に疎し」と申します。秋口頃はスッカリ「島田紳助」の名前が忘れられ、人の口の端に残ることも無くなっているでありましょう。
後釜の座を射止めた芸人たちの高笑いが聞こえてございます。この世の出来事は全て「必然」と申します。島田紳助さまのこのたびの「引退」はずっと以前から、彼が10代で「漫才師」としてデビューしたときから「決まっていた」ことでございました。
紳助さまの生き方、芸風を勘案すれば、このたびのあのような「自爆」以外は説明のつかないものであったのでございます。高い視聴率を上げていながら、ずっと大嫌いな司会者ナンバーワンの座に輝いてきた芸人の見事な「オトシマエ」のつけ方であった、といっていいのではないでしょうか。
それにしても、でございます。紳助さまの「引退」の理由が「暴力団とのつきあいが明らかになったころ」が原因とは、とんだ茶番劇でございます。吉本の売れっ子芸人の中で、これまで「暴力団とのお付き合い」が無かった者など皆無でございましょうに・・・。
吉本の社長さまであられる大崎洋さまご自身が「暴力団」とはズブズブの、手前どものチンポも顔負けするような「ど真ッ黒」の関係である、であることはよく知られていることでございます。暴力団と「ど真ッ黒」の関係にあるのは何も吉本に限ったことではございません。
日本の芸能界全体が「暴力団」と極めて親しい関係にあるのでございます。先頃、暴力団と共謀して「殺す」「埋める」と「脅し」した、との告発を受けたのはエイベックスの松浦社長さまでございます。
暴力団が経営する「闇カジノ」の常連であったことが明らかになったAKB48の社長さま、晴れて警視庁に暴力団の企業舎弟との認定を受けた芸能界のドン、周防社長さま等々、芸能界と暴力団との密接な関係をイチイチ上げれば枚挙にいとまがないのでございます。
兼ねてより暴力団と芸能界の「のっぴっきならぬ」関係については当局から警鐘を鳴らされ、マスコミで叫弾されてまいったことでございますが、今日おいても改めることなく何故続いているのでありましょうか。紳助さまのケースで検証してみたいと存じます。
「真相の幕引きには程遠く」
島田紳助を引退に追い込んだ
"ヤバネタ"とは!?
2011.8.28
cyzo
23日夜にタレントの島田紳助(55)が緊急会見で突如として引退を発表し、芸能界が騒然となっている。
引退会見での紳助と所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシーの水谷暢宏社長の発言によれば、恐喝未遂罪に問われている元プロボクシング世界王者・渡辺二郎被告(56)と紳助の間で交わされたメールのやり取りを、外部の人物が吉本興業にタレこんだという。
渡辺被告は某広域暴力団の二次団体の相談役を務めていると言われ、このメールによって吉本側が紳助と暴力団関係者の親密交際を把握。8月中旬頃に本人に問いただしたところ紳助は事実だと認め、引退を申し出たという。
吉本側が引退を正式に受け入れたのは、紳助の発言によると会見の数時間前。各メディアはもちろん、吉本興業の社員ですら一部の上層部を除いて全く知らされておらず、レギュラー番組の制作関係者にも直前になって通達されたため、各局は番組差し替えなどの対応にテンヤワンヤの状態となっている。
紳助といえば、2004年に吉本興業の女性社員(事件後に退職)を殴った事件で損害賠償約1,045万円の支払い命令を受けたり、09年の『オールスター感謝祭』(TBS系)生放送中に若手お笑いトリオ・東京03を恫喝する場面がカメラに映り込んだりと、超売れっ子にもかかわらず常に暴力の匂いが付きまとっていた。
とはいえ、今回の一件はメールの内容のみが引退の根拠となっており、しかも4~6年前のもの。本人も会見で「引退しろと言われたわけではないですし、僕が何も言わなかったら謹慎処分だったと思う」と言っていたように、過去のこととして謹慎程度で済ませることも可能だっただろう。
吉本興業と言えば、創業家一族と現経営陣との間に勃発した"お家騒動"の背後に暴力団関係者が存在したとも報じられており、そのイメージを払しょくするために"黒い交際"に対して厳しく臨むという姿勢になったのかもしれない。だが、テレビレギュラー6本、CM6本を抱え、吉本を長年支えてきたタレントをメールのやり取りのみを根拠に、テレビ局やスポンサーにも配慮せずに電撃引退させるという異常事態には、やはり疑問が浮かぶ。
この騒動はベテラン芸能人にも不可解に映ったらしく、関西を拠点に活躍するタレント・やしきたかじん(61)は、Twitterで以下のようにつぶやいている。
「今、zero見てますが歯切れ悪いですね。本質が暴力団とのメールだけで吉本興業は切らないと思いますが」
「年10数億円稼ぐタレントは事務所に取ってドル箱です。特に金にシビアで有名な吉本が誰も確証のないメールを盾にする事自体が訝(いぶか)しい」
「此れで真相の幕引きには程遠く、週刊誌等がかなり動くと思われます。紳助一人の判断でないのは確かだと思うのですが」
ほとんどの人が納得できないであろう会見だっただけに、現在は各メディアの記者たちが引退の真相を探るために取材を続けているが、確信的な情報を得たという者はおらず、いまだ闇の中といったところ。某週刊誌が紳助の"ヤバネタ"をスクープし、その記事が出るのを見越して先手を打った引退会見とも言われたが、ヤバネタの中身が何なのか誰も確実な裏がとれていない状況だ。
紳助は会見で「僕はここ数年間、ワケの分からん記事をいっぱい書かれました。ヤクザを使って競売物件を買ってるとか。カジノに出入りしてるとか、命をかけてもありません。僕がもし、本当にそんなことしてたら、みなさんの前で腹を切ります。週刊誌に書かれても我慢してきました」と、これまでの報道を否定する皆を語っている。
これに続けて「明日から一般人なので、ウソを書かれたら告訴する気持ちでいます」と発言し、その後も「明日からは遠慮せんと告訴できるなとホッとしている」などと数回にわたってマスコミを牽制する言葉を発している。単純にウソを書かれたくないという気持ちもあるのだろうが、うがった見方をすれば探られたくない深い事情があるようにも聞こえる。
芸能界が引っくり返るような大騒動になった引退劇だが、まだまだ我々を驚かせる"何か"が隠されている可能性はありそうだ。
たかじん&勝谷
真実を話すと
僕らが海に浮かんでしまう
2011.8.29
houchiyomiuri
タレントで歌手のやしきたかじん(61)が、28日に放送された読売テレビ系討論バラエティー「たかじんのそこまで言って委員会 日本復活!スペシャル」で、島田紳助さんの芸能界引退について言及した。
番組の冒頭でコラムニスト・勝谷誠彦さん(50)とすり合わせた情報がほぼ一致したとし、「一致した見解を話すと、炎上してドッカーンとなってムチャクチャになるのは間違いない」と問題の根深さをにおわせた。
吉本興業所属の勝谷さんも「僕とたかじんさんが南の青い海に浮いてしまう」と苦笑い。その上で「(渡辺二郎被告との)メールが出てきた時期が、ある所にガサが入っていろいろブツが出てきた時期に一致する。しかしえげつないリークしますね、大阪府警も」と話した。
また、ゲスト出演した俳優・津川雅彦(71)も毒舌を披露。民主党代表選に立候補した前原誠司前外相(49)について、「(献金問題などで)前科者でしょ。紳助さんと同じですよ。罪人ではないけど引退した。紳助がまた出てきたことを考えたらあまりにもカッコ悪い」と話し、周囲を驚かせた。
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