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by amor1029
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★【動画+サッカー歴あり】:松田直樹(元日本代表)が死亡

★【【写真+7動画+サッカー歴詳細あり】】:「松田直樹選手(元日本代表)が死亡」松田選手はなぜ急死したのか?スポーツ選手の急死の真相を解く・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:松田直樹, スポーツ選手 急死, スポーツ選手 急死 原因


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サッカー元日本代表
松田直樹選手亡くなる

2011.8.5
yomiuri

長野県松本市内のグラウンドで2日午前の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、意識不明となっていたサッカー元日本代表で日本フットボールリーグ(JFL)松本山雅FCのDF松田直樹選手(34)が4日午後、入院先の信州大付属病院(松本市)で亡くなった。

松田選手は2日午前の練習で、ランニングを終えた後、ストレッチをしたり、脈拍を測ったりしている最中に体調不良を訴え、倒れた。心肺停止状態で運ばれた同病院では集中治療室で、人工心肺装置をつけて治療を受けていた。3日夜から徐々に血圧が低下した。

松田選手は、群馬県桐生市出身。1995年から16年間横浜F・マリノスでプレーし、今季から松本山雅に移籍した。2002年ワールドカップ日韓大会では主力として、初の16強入りに貢献。五輪にも2回出場し、1996年のアトランタ五輪では、当時最強と言われたブラジルを1―0で破る「マイアミの奇跡」の立役者の1人だった。国際Aマッチ出場は40試合、1得点。

松田選手が入院していた病院には、三浦知良選手や中村俊輔選手ら親交があった選手たちが次々と訪れた。同病院で記者会見した松本山雅の加藤善之監督は「家族を失ったという感覚が強い。残念でならない」と涙をこらえながら語った。





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松田選手急死なぜ?
高血圧・肥満なく稀なケース 

2011.8.4
yomiuri

松本山雅のチームドクターで、信州大病院の百瀬能成医師によると、JFLにはメディカルチェックの規定はないが、同FCではJリーグの規定に沿って、血液検査、心電図、負荷心電図、頭部と胸部のCT(コンピューター断層撮影)などの検査を実施している。今年1月に松田選手も検査を受けたが、異常はなかったという。

「本人はたばこも吸わず、通常の生活をしていた。当日の天候・気温を考慮しても脱水症状は考えにくい」と首をかしげる。

心筋梗塞は、心臓に栄養や酸素を送る血管が詰まる病気で、通常は高血圧や高脂血症、糖尿病、肥満、喫煙などが原因で起き、40~50代以降で発症する。

松田選手の場合は、このいずれにも該当せず、榊原記念病院の伊東春樹副院長(循環器内科)は、「珍しいケース」と話す。

サッカー界では、心臓疾患による現役選手の急死が時に起こる。2003年のコンフェデレーションズ杯で、カメルーン代表のフォエ選手(当時28歳)が試合中に突然倒れ、急逝した例が有名。この事件を受け国際サッカー連盟(FIFA)は、06年W杯ドイツ大会の際、全選手に対して心臓検査を実施するなどの対策を施した。





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大切な人を突然死で
なくないために
あなたに救える命があります 

北海道心臓協会

カメルーンのサッカー選手でホエというワールドカップに出るような一流の選手が、プレイ中にピッチ上で倒れてそのまま突然死するという事が起こりました。突然死の原因が何であったかを予想するのは中々難しいのですけれども、このように非常に若い方にも突然死は起こるという事です。

さらにもっと年齢が下がって、小学生から高校生、こういう学校の生徒さんにも突然死は起こります。日本でも学校の管理下、いわゆる授業中などの突然死で年間に50~100人、全国でお子さんが亡くなっています。これはあくまでも学校で起こった突然死で、学校の外で起こった突然死はこの数値には含まれていませんが、大体この3倍位ではないかといわれています。

したがってやはり年間に数百人のお子さんが突然亡くなっている。先ほどの突然死の7割が心臓突然死だとお話しましたけれども、やっぱり70~80%は心臓の病気によると考えられています。お子さんの突然死は運動に関係したものが多いというのが特徴です。

心臓震盪と言われるのが時々新聞などに出ています。これは前胸部の非常に軽い衝撃とか打撲によって、先ほどからご紹介しています非常に怖い不整脈である心室細動を生じて、心臓突然死をきたすという病気です。非常に若い人が多い。

野球が多いのですが、サッカーなどの球技でも起こっています。ただ非常に強い骨が折れる位の強い衝撃が胸に加わる訳ではなく、投げたボールとか打ったボールが当たったとか、骨には異常が無いくらいの柔らかい衝撃によって、心室細動が起こると言われています。

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結局心臓突然死というのはあらゆる年齢の方に起こる危険性があるわけです。なぜか男性が多いのですが、これは先ほどの心筋梗塞などの病気が男性が多いという事が関係しているわけです。

一番多いのは50代、60代の方ですけども、女性になりますと60代、70代の方に多くなってきます。では若い人20代、30代には無いかというと、若い人にも突然死は起こるという事をお話しました。では、どこで起こるか。重要なことは、病院の中で起こるというのはむしろ極めて稀です。

家、道路、職場、公衆の場所、こういった医療機関ではない所で起こるというのが、この心臓突然死の非常に大きな問題になるところです。結局心臓突然死というのは、いつでもどこでも誰にでも起こりうる危険性があり、それで日本全国で年間3~5万人位の方が命を落としているという事です。


a0028694_9205259.gifではどうやって予防するかという事になります。

心臓突然死が起こる原因となる心室細動が起こった時には、除細動という治療しかありません。もうこれ以外にこの心室細動を止める方法は無いわけです。即ち非常に不規則な心室細動という心電図になっていますので、これを電気ショックで止めて正常な心電図に戻してやる。

これが除細動と呼ばれる治療です。それではいつ除細動すれば助かるのかという事ですが、心室細動になると脳には血液が行かなくなります。

したがって意識がなくなります。そのままにしておきますと大体1分間に10%ずつ蘇生率が低下していきます。したがって心室細動が起きて10分経つとその方を救命出来る可能性は極めて低いという事になります。最初の数分が命の分かれ目、勝負という事になります。

わが国は救急車が非常に早い時間でやって来ますけれども、それでも実際に119番してから平均で6分かかると言われています。当然119番に電話をするまでの時間もあります。それから救急救命士が来て実際に除細動するまでに、平均大体9分はかかってます。

そうしますとどんなに早く119番通報をして、どんなに早く救急救命士の方が除細動をしても、殆どの方は助けられないという事になるわけです。結局、救命出来るかどうかは患者さんが心室細動になってからいかに早く除細動するか、これはもう時間との勝負です。

そうしますと救急救命士の方が来るのを待っては居られないわけで、そこで必要となるのがこのAEDという機械です。この機械を皆さん地下鉄の駅とか色々な所で最近ご覧になるのではないでしょうか。何の箱かなと思っておられるのかもしれませんが、これが自動体外式除細動器です。


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英語のAutomated External Defibrillatorの頭文字をとってAEDと呼びます。日本語でもAEDと呼ばれていますが、正式な日本語の名前は自動体外式除細動器と言います。何が自動かと言いますと、これは自動で心電図を解析してくれるのです。

それから除細動をするかどうかというのもこの機械が判断してくれる。除細動するかどうか─これはボタンを押さないといけませんけれども、除細動してくださいというのも機械が指示してくれる。

実際に除細動するということも機械がやってくれる。そういう事で自動という名前が付いているわけです。実際に開けてみますと機械に1、2、3と書いてあります。1、2、3と、この通りにこの機械を使えばよいのです。


a0028694_9205259.gif実際どういう風に行われるかというのを説明したします。

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まず最初に意識を確認します。それからできるだけ回りの人を呼び、人を集めます。それから119番に通報し、AEDがあるかどうかを確認します。そして顎を左手で持って呼吸をしているかを確認します。その後に呼吸をしていないという事がわかりますと心臓マッサージをします。

AEDが到着したら、傷病者のすぐ傍に置きます。本体にはボタンは三つしかありません。まず電源を入れますと、音声が流れますのでその後はその指示の通りに操作します。

上半身の衣服を脱がせます。次にパッドを取り出し、1枚目を書かれている絵のとおり右側の鎖骨の部分に貼り、2枚目を左側の脇腹の部分に貼ります。

機械が心電図の解析をし、必要があればボタンを押すように指示が流れますので、点滅しているボタンを押します。ショックが完了すると「完了しました。…胸骨圧迫と人工呼吸を開始してください」と音声が流れます。








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サッカー選手が
突然死する理由 

2010.4.22
wakui

最近、メディアでよく取り上げられるサッカー選手の突然死。サッカー選手が練習中や試合中に突然倒れて病院に運ばれる、というニュースをご覧になったことはありませんか?僕も試合中に突然選手が意識をなくすというのは、実際に見たことがあります。


a0028694_9205259.gifどうしてなのでしょうか?

チームドクターに質問したことがありますが、医学的に解明されたケースとそうでないケースがあるようで、原因は一つではないようです。サッカーの練習というのは約1時間半~2時間行われます。その中には選手の心拍数が170~180、またはそれ以上の状態まで上昇する練習があります。もちろん練習が始まってから、このようなトレーニングにすぐに移る訳ではありません。徐々に心拍数を上げながら、トレーニングを行っています。

しかし、安静時心拍数(就寝中の心拍数)が約60~70の状態から1時間もしない内に、心拍数が190近くまで上昇する状態になったらどうでしょうか?そうです、心臓には大きな負担となります。それが毎日続いたらどうなるでしょうか?

このケースは、選手が起床してからトレーニングするまでの時間が短く、急激な負担が身体に掛かったことが、最悪の結果を招いてしまった原因となったようです。サッカーに限ったことではなくどの競技にも言えることであり、他にも色々なケースがあります。

アスリートだけでなく、誰もが自分をコントロールしていますが、コントロールが利かなくなってからでは自分ではどうしようもありません。

私の所属するチームドクターも話していましたが、コントロールが利かなくなるまでには身体は何度も何かしら信号を出しています。普段とは違う感覚やその信号を自分自身でキャッチして、いち早く対処することが大事なようです。世界各国の協会、クラブの対応が少しでも早く強化されることを祈るばかりです。






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松田直樹
(まつだなおき)
愛称 マツ、マツさん
国籍 日本
生年月日 1977年3月14日
出身地 群馬県桐生市
没年月日 2011年8月4日(満34歳没)
身長 183cm
体重 78kg
血液型 A型
高校 前橋育英高校 1992-1994
クラブチーム 1995-2010 横浜F・マリノス 2011-松本山雅FC
日本代表 2000-2005



a0028694_9205259.gif来歴

ルーキーシーズンであった1995年に、DFとして開幕スタメンに抜擢。1998年以降はレギュラーに定着している。

U-16日本代表に招集されて以来、各世代の日本代表に選出されている。1996年のアトランタオリンピック、2000年のシドニーオリンピック双方の代表に選出され、年齢制限のあるサッカーのオリンピック日本代表としては、数少ない2大会連続出場選手となっている。

トルシエジャパン時代はフラット3と呼ばれる3バックの右サイドで不動のレギュラーであり、2002年の日韓W杯ではベスト16入りに貢献した。ジーコジャパンになってからも当初は代表に呼ばれていたが、2005年3月30日のドイツW杯アジア最終予選バーレーン戦以降、代表には呼ばれていない。

しかし、ジーコ監督時代は代表の守備陣で180cm以上の選手が少なく(スタメンは中澤佑二のみ)、高さとフィジカル、経験という点で国際試合で心配だという声もあり、日本代表復帰を望む声も少なからずあった。しかしジーコと起用法を巡って衝突したため、招集されなかった。

2006年には横浜F・マリノスのチームキャプテンに就任した。

2007年シーズンは、怪我で出遅れ、守備的MFとしてヤマザキナビスコカップ大宮戦で復帰した。この試合では、途中交代の際、早野監督との握手を拒否する、試合出場中に監督からの指示を仰ぐ時、顔を睨み付ける様な態度を取っていたなど、監督との確執が起きていたようである。

その後は出場機会に恵まれず、ベンチ入りこそするが出場はなく、第16節のG大阪戦でセンターバックとして先発し、漸くリーグ戦初出場を果たした。この試合では39試合連続得点中のG大阪を無失点に抑えた。その後、第18節大分トリニータ戦で、リーグ戦300試合出場を達成。

2008年からは河合竜二の負傷により、守備的MFに抜擢された。起用理由について当時の桑原隆監督は「経験からして松田以外には考えられなかった」とのこと。最終ラインを守るチームメイトからは「DFの前にDFがいる」と頼りにされ、当時浦和でボランチにコンバートされていた闘莉王のように高く評価されている。河合復帰後もDFとMFの日替わり起用に柔軟な対応を見せた。

2009年に自叙伝『闘争人』を出版。シーズンオフの契約更新では引退までマリノスでプレーしたいとコメントしていた。

2010年は以前から慢性的な怪我を抱えていた右ひざの手術を行った影響で出遅れ、13節広島戦で後半開始から交代でプレーしたのがシーズン初出場となった。初先発となった17節の仙台戦ではショートコーナーを折り返した小野裕二の落としでゴールを決めた。

その後はイエローカードの累積による出場停止となった24節仙台戦以外は最終節34節まで全試合にほぼ先発で起用された。シーズン終了後にマリノスから戦力外通告を受け退団が決まった。以前からマリノスで現役を終えたいと述べていた松田への戦力外通告に関してサポーターの一部がクラブハウスに押しかけ、クラブの担当者による緊急の説明会が開かれる一幕もあった。

2011年にはJFLの松本山雅FCと契約。背番号はマリノス時代から引き続き3番をつけた。 同年8月2日午前、同チームの練習中に突然倒れ、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送された[3]。病名は「急性心筋梗塞」と発表された。

人工心肺を付け、途中心拍が微弱ながら戻ったものの、8月4日午後1時6分頃、同病院で死去[4]。34歳没。 この年は、自身最後の試合となった同年7月23日のJFL後期第4節Honda FC戦(アルウィン)を含む15試合に出場、1得点を挙げた。


a0028694_9205259.gifエピソード

■2007年末に上野良治が退団した以降は横浜F・マリノスの在籍年数が最も長い選手となっている。それ故にチームに対する愛着が強い。2007年終了後は契約更改で年俸を40%にされてもサインし、2008年も「会社が苦しいから」と一回目の契約交渉で更改のサインをした。2008年のホーム最終戦のヒーローインタビューでは「これからも長くマリノスでやっていきたい」とコメントし[2]、F・マリノスに骨を埋める覚悟を表明していた。

■しかし2010年にまさかの戦力外通告を受け、この宣言は果たせず。クラブハウスに大挙押し寄せ下條佳明統括本部長に詰め寄ったり、最終節後のセレモニーの嘉悦朗球団社長と木村和司監督のスピーチ時に松田のチャントで妨害したりするなど松田の戦力外に激昂したF・マリノスサポーターが現れ、サポーターによって集められた再契約嘆願の署名数は2万を超えた。

■松田がルーキーだった95年は、背番号が固定制ではなかった(ラグビーのように、スタメンの15人が必ず1から15の番号を付けなければならないという規定)。当時の横浜マリノスでは、山田隆裕が背番号10を付けることが多かったが、その山田が欠場したリーグ戦では適任者がいなかったこともあり、ルーキーかつDF登録だった松田が背番号10を付けたことがある。

■情に厚く類まれな熱血漢であった。「出さなきゃ殺すというオーラがある」(フィリップ・トルシエ)、「マツさんは『なんだテメー』って言いながら上がってく」(稲本潤一)など周囲も熱血漢ぶりを語っている。

■2010年にはF・マリノスの選手会長を務めた。活動実績としてはサッカー教室の主催、選手会シートによる観客の招待など。

■親分気質で中澤佑二とともに練習中にミスを犯した若手選手に対して厳しく指導する。その一方で練習後やオフには若手選手を食事や旅行に誘うなど面倒見が良い。

■負傷で離脱している選手や退団が決まった選手の名前をアンダーシャツに書いて着用するなど仲間に対する思いやりが深い男である。

■2003年ナビスコ杯ジュビロ磐田戦で西野泰正と接触プレー後、西野のプレーに憤激して主審に向かい言い放った「やるよ、やっちゃうよ」はピッチ外マイクに拾われてTVに流れ、松田を象徴する名文句となった。

■気合を入れるために、チームメイトに殴ってもらうことがある。2004年CS(対戦相手は浦和)では栗原勇蔵に軽い脳震盪を起こす程の強さで殴ってもらった。

■2007年のリーグ戦初出場となったガンバ大阪戦でも、後半開始直前に那須大亮にビンタをしてもらった。

■2005年のナビスコカップ準々決勝第2戦・大宮戦では、CBという役割を省みずに攻撃参加を繰り返し、岡田武史監督からハーフタイムに「お前のポジションはどこなんだ」と説教されたが、この試合では決勝点となる得点を挙げている。その後は自分を省みるようになり、岡田監督にも「今の松田なら大丈夫だ」と信頼を得た。2006年シーズンでは、キャプテンということもあり、PKのキッカーを務めた。松田は岡田のことを非常に尊敬しており、「教わったことは両手で掬うことができないくらいだった」と著書で述べている。

■2007年10月13日に行われた、ナビスコ杯準決勝川崎フロンターレ戦で、交代枠を使い切っていたため、後半35分にハンドで退場となったゴールキーパーの榎本哲也に代わってゴールを守ったが、終了直前、黒津勝にダメ押し点を決められ、4-2で負けた。試合後、観戦していたイビチャ・オシム代表監督(当時)は、「マリノスの新しいキーパーが発見だった」と冗談交じりにコメントしている。

■若手時代、キャプテンマークに憧れていた。練習後に内緒でキャプテンマークをつけていたのを監督に見つかり怒られた。しかし、見かねたスタッフが急遽ガムテープでキャプテンマークを作ってあげた。2006年、念願のキャプテン就任。

■ジーコ監督の日本A代表では控えに甘んじ、同じポジションであった田中誠がスタメン落ちしたときでも使われなかった。さらに自分の子供が生まれたために帰国し無断離脱するなど、精神面での課題も指摘されていた。以前にも韓国から無断で帰国し、一時トルシエと衝突した事がある。

■出来るだけ長くプロ選手を続けたいという意欲が強い。それに起因して「若返り」と「身の丈経営」を理由にベテラン選手が解雇されていくJリーグの現状を危惧する発言を度々していたが、あえなく犠牲となってしまった。

■同い年の安永聡太郎、佐藤由紀彦は親友である。佐藤のVファーレン長崎への移籍が決まった際、真っ先に連絡したのが松田だった。

■「ヒデ(中田英寿)を殴れるのは自分だけ」と語ったことがある。

■40歳を越えた現在でもプロ選手として高いモチベーションを保っている三浦知良を尊敬していた。

■1男2女の父。前述の通り生活のほとんどを仕事に捧げるタイプなので、著書に日頃遊んでやれないことを詫びる一文がある。

■吉田孝行や乾貴士を獲得するよう横浜F・マリノスフロントに進言するほどチーム内での影響力は強大だった。

■群馬県出身の代表的なサッカー選手であり、2009年の新春ドリームマッチ群馬では果敢なオーバーラップで高校の後輩で元チームメイトの大島秀夫のアシストから1ゴールを決めてファンの喝采を浴びた。

■横浜Fマリノス退団後もファンの人気は絶大で、移籍先の松本山雅FCでは、例年数百枚程度しか製作していなかったチームのレプリカユニホームへの注文が殺到し瞬く間に完売となり、地元のサポーターでも購入できないという現象が発生。結局、2011年シーズン開幕後も品薄状態が続き、予約注文で対応するという事態となった。

(wikipedia)










































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by amor1029 | 2011-08-05 04:37 | スポーツ