★雪国まいたけ 大平喜信社長:「一家心中を覚悟した」
2011年 07月 31日

一家心中を覚悟した途端
怖いものがなくなった
雪国まいたけ社長
大平喜信
プレジデント 2011年8.15号

一度、本気で死を覚悟してしまうと、死以外のことはストレスでなくなる。どんな逆境に遭遇しても、怖くなくなる。嘘だと思う人は、試してみるといい。
雪国まいたけを創業する前、私はもやし屋をやっていた。当時としては珍しい「太もやし」の栽培に挑戦していたが、試行錯誤の連続で、資金はたちまち底をついた。6畳ひと間に家族4人、腐ったもやしと腐ったバナナを分けあって食べる日々。真冬に窓ガラスが割れても修理する金さえなく、ござで塞いで寝たら、翌朝、家族全員の顔に雪が積もっていたこともあった。
田舎の村のことである。もしも事業に失敗したら、「中卒の貧農の長男が事業なんかに手を出すからだ」と末代まで物笑いの種にされる。かといって一家心中をすれば、親戚じゅうに迷惑がかかる。
私は、家族4人でトラックに乗って崖から転落すれば心中ではなく事故死に見えると考えて、転落に最適な崖を探しに行った。そして、失敗したらこの崖から谷底に突っ込むのだと決心したとき、死以外のすべてが怖くなくなってしまったのである。以来、どれほど大胆な決断をしても平気になったし、異様に活力が湧き上がってくるようになったのである。
雪国まいたけを創業した当時(昭和57年)、きのこ産業は「3K職場」だと思われており、最大の難問はパートタイマーを集めることだった。しかも、せっかく雇ったパートさんがちゃんと働いてくれない。1時間でできる仕事に倍の2時間もかけている。困ったものであった。
なぜ、パートさんは一所懸命に働こうとしないのか。なぜ、なぜ、なぜと「なぜ」を何度も繰り返していくうち、やがてパートさんの心理がはっきりと見えてきた。パートさんは3K職場に、「勤めてやっている」と考えているのだ。
では、この意識をどうすれば変えられるだろうか。私が出した結論は、時給の引き上げだった。当時の時給は450円。それを一挙に160円アップして610円にし、そのうえで、時給600円で新規募集をかけた。なにしろ破格の時給だ。50人の応募枠に270人が詰めかけ、事務所の外まで面接の行列ができた。
すると、古株の30人のパートさんの態度ががらりと変わってしまったのである。工場の中を小走りで移動するようになった。殺到する応募者を見て、うかうかしていられないと思ったのだろう。パートさんの心理は、「勤めてやっている」から「クビにされたくない」に変わったのだ。私の狙い通りの結果になったが、この小走りの働きぶりがイトーヨーカ堂に認められ、直販ができるようになったのは想定外の出来事だった。
ただし、破格の時給を支払ったことは、思わぬ副産物を生むことになった。近隣の企業のパートさんがみんな辞めてしまい、雪国まいたけに集中してしまったのだ。困った近隣の企業は、ネガティブ・キャンペーンを展開した。「雪国に行くとひどい仕事をさせられる」「時給610円なんて嘘だ」。これには、困った。私は再び、なぜ、なぜを始めた。
なぜ、なぜの連鎖を正しい答えに導くコツは、相手の立場に立って考えることにある。このときは、デマを信じた村人の立場に立って、なぜ、なぜを繰り返した。そして閃いた。他の企業では絶対に味わえない家族サービスを社員に提供し、その中身を村人たちに知ってもらえば、悪い噂を信じなくなるだろうと。

9月の20日、21日の2日間、朝の9時から夕方の5時まで、雪国まいたけの本社付近からヘリコプターが何度となく舞い上がっては、村の上空をぐるりと一周してもどってくる動きを繰り返した。実はこれが、私の考えた「他の企業では絶対に味わえない家族サービス」であった。ヘリを2日間チャーターして、社員とその家族を乗せた遊覧飛行を企画したのだ。自分が生まれた村を上空から眺める経験など、一生に一度のことだろう。
この家族サービスの内容は瞬く間に村中に広まり、弊社にまつわる悪い噂はあっという間に消えてしまった。なぜなら、9月20日と21日の両日は、稲刈りの日だったからだ。私は、村人が総出で稲刈りをしている日を選んでヘリを飛ばしたのだ。弊社の家族サービスを村人全員に知ってもらうには、こうするのが一番確実で手っ取り早かったのである。

私は、これまでの人生で何度となく逆境に遭遇してきた。その都度、自ら知恵を出して逆境をはねのけてきたわけだが、本当の知恵を出すために、私はなぜ、なぜ、なぜと何度も「なぜ」を繰り返す。すると、最終的には商売相手や消費者の「望み」に辿りつくことになる。人間は自分の望みをかなえるためにすべての行動を起こしているわけだが、なぜを何度も繰り返していくと、相手の望みがくっきりと見えてくるのだ。そして、本当の知恵とは、この望みを最も有利な条件でかなえてあげる方法にほかならない。
雪国まいたけは、昨年10月、バングラデシュでもやしの種子である緑豆を生産する合弁企業、「グラミン・ユキグニマイタケ」を設立した。インドのグラミン銀行と連携した、ソーシャル・ビジネス(ビジネスによる問題解決)である。
弊社はグラミン・ユキグニマイタケが生産した緑豆の6~7割を国際価格で買い取っているが、こうすることでグラミン・ユキグニマイタケは残りの3~4割を食用として低価格販売できる。緑豆の生産はバングラデシュに雇用を創出するだけでなく、食糧の安価な供給にも貢献しているのである。

いまここに、2袋のもやしがあるとしよう。ふたつは、まったく同じ重量、同じ品質、同じ価格である。一方は普通のもやし、他方はそれを買うだけで社会貢献ができる「雪国もやし」である。「経済的負担は負いたくないが、社会貢献はしたい」と考えている消費者なら、迷わず後者を選ぶはずである。その結果、雪国もやしの消費量が増えていけばコストダウンが可能になり、弊社の利益にも貢献することになる。
消費者の購買動機には大きく、価格と品質というふたつの要素があるが、私は今後、「社会貢献」という要素が購買動機として重要になると予測している。しかし、社会貢献をしたい消費者は多くても、誰もがお金を払えるわけではない。そこで、「選択」するだけで社会貢献ができる仕組みをつくり上げたわけである。
これも、消費者の望みを最も有利な条件でかなえる方法を考え抜いた結論。すなわち、本当の知恵なのである。

おおだいら よしのぶ
(wikipedia)

■1948年(昭和23年)- 2月4日:新潟県南魚沼郡六日町(現南魚沼市)五十沢の農家の長男に生まれる。
■1963年(昭和38年)- 3月:六日町立五十沢中学校卒業。神奈川県川崎市の両角工務店に3年間勤めたあと帰郷。農業で2年間。理研電具製造の工場に6年間勤務を経て起業。
■1975年(昭和50年)- 8月:大平もやし店創業。
■1982年(昭和57年)- 2月:まいたけ栽培開始。
■1983年(昭和58年)- 7月:株式会社雪国まいたけ設立。取締役就任。
■1985年(昭和60年)- 7月:代表取締役社長に就任。
■1988年(昭和63年)- 10月:株式会社雪国商事代表取締役就任(現任)
■1989年(平成元年)- 6月:有限会社大平商事代表取締役就任(現任)
■1997年(平成9年)- 2月:代表取締役兼営業本部長。 8月、代表取締役。
■1998年(平成10年)- 5月:代表取締役社長。
■1999年(平成11年)- 5月:代表取締役社長(現任)

■脱内制止
■自己責任(世の中思い通りにならないのは自己責任)

マラソン・スキー・スノーモービル。

■食料の未来を描く戦略会議in新潟、委員(北陸農政局企画調整室)
■事業創造大学院大学客員教授。
■新潟経済同友会。
■新潟県雇用開発協会、理事。
■地域貢献企業の会、副会長。

■独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構・生物系特定産業技術研究支援センター
■生研センター「民間実用化研究促進事業」の平成20年度課題に採択
■「雪国まいたけ抽出物」から血糖値改善、アレルギー、自己免疫疾患予防等に有効な成分特定ならびに特定保健用食品および健康食品の開発。
■「雪国まつたけ」開発プロジェクトチーム発足(マイタケ・マツタケ等の大規模ゲノム解析に着手)
■2007年度日本品質奨励賞TQM奨励賞を受賞( 財団法人日本科学技術連盟が授与、農業分野では初めての受賞)

■雪国まいたけ
■循環型農業団地構想
■がっちりマンデー(株)雪国まいたけ 大平喜信 代表取締役社長
■【時代のリーダー】大平喜信・雪国まいたけ社長
■北陸農政局、ともに考えよう!私たちの食料の未来in新潟
■読売新聞企業ナビ「七転八起」価格管理で大手を破る。
■理研電具製造
■新潟経済同友会

雪国まいたけ株式会社
(wikipedia)
種類 株式会社
市場情報 東証2部 1378 2000年3月1日上場
本社所在地 〒949-6695 新潟県南魚沼市余川89番地
設立 1972年(昭和47年)10月19日(司興業株式会社)
業種 水産・農林業
事業内容 マイタケ・エリンギ・ブナシメジの生産販売
代表者 大平喜信(代表取締役社長)
資本金 16億0521万円
発行済株式総数 3889万0375株
売上高 連結: 265億20百万円
単独: 246億68百万円(2011年3月期)
営業利益 連結: 14億88百万円
単独: 7億08百万円(2011年3月期)
純利益 連結: 7億00百万円
単独: 3億19百万円(2011年3月期)
純資産 連結: 70億81百万円
単独: 77億06百万円(2011年3月31日現在)
総資産 連結: 391億60百万円
単独: 373億02百万円(2011年3月31日現在)
従業員数 連結: 1,318人 単独:1,025人(2011年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主
(有)大平商事 32.35%
大平 喜信 19.17%
大和ハウス工業(株) 4.61%
(2011年3月31日現在)
主要子会社 (株)雪国商事 100%
(株)雪国バイオフーズ 93.6%
(株)トータク 98.96%
外部リンク http://www.maitake.co.jp/

■1975年(昭和50年)8月: 「大平もやし店」を創業。
■1982年(昭和57年)2月: まいたけ栽培開始。
■1983年(昭和58年)7月: 「株式会社雪国まいたけ」設立。マイタケの生産を開始(日産350kg)。
■1986年(昭和61年): 本社を南魚沼市余川に新築。
■1987年(昭和62年)3月: - 東京営業所を開設。
■1994年(平成6年)3月: 新潟証券取引所地域産業育成部へ上場。
■2000年(平成12年)3月: 新潟証券取引所と東京証券取引所の合併により東京証券取引所市場第2部に株式を上場。証券コードは1378。
■2006年(平成18年)2月10日: 五泉バイオセンター内コージェネレーション発電事業への参加。
4月14日; 中国における「えのき茸事業」推進で、「上海雪国高榕生物技術有限公司」を設立。
7月19日: タカラバイオ株式会社と業務提携契約を締結。
10月:「YUKIGUNI MAITAKE Corporation of America」を設立。米国へ初の海外進出。
■2008年(平成20年)2月12日: 吉林省長春市に合弁会社を設立し、えのき茸の生産施設を建設。
7月22日: 関連子会社タナベ雪国アソシエイツ株式会社を解散及び清算。
■2009年(平成21年)2月10日: 大和ハウス工業と資本・業務提携を締結。
2月16日~17日: 新潟県を訪問した秋篠宮文仁親王・同妃紀子様が雪国まいたけ第3バイオセンター視察
3月16日: 中国におけるエリンギ事業を開始(上海雪榕生物技術有限公司)
8月17日: 現地法人を設立。「成都雪国高榕生物科技有限公司」(四川省都江堰市川蘇工業園区)

■2010年(平成22年)10月9日: バングラデシュに合弁会社「グラミン・雪国まいたけ」を設立。日本でのモヤシ生産に適した大粒の豆は雪国が購入し、農業で1500人程度の雇用が見込まれ、輸入しない小粒の豆はバングラデシュ国内で販売の仕事・収入も生まれる[1]。
2010年(平成22年)10月12日: 日本食糧新聞社が制定する2010年度(平成22年度)第19回食品安全安心・環境貢献賞を受賞。

1990年代後半からの、郷ひろみによるテレビコマーシャルで、一気に知名度が上がった。2006年からははなわによる「雪国もやし」のテレビコマーシャルを放映開始。ベースを弾き語りながら「メチャメチャ高いからみんな絶対買うなよ」(第二段として「めちゃめちゃ高いからみんな全然売れねぇんだ」もある)とコメディ風に呼びかける異色の内容である。なお、はなわがCMの最後に「高いよ」と視聴者に語りかけるように言う部分は、後に「雪国、雪国、雪国もやし」と製品名を連呼する形に差し替えられた。
2009年からの『雪国やさい革命』のコマーシャルでは「メチャメチャやすい」とアピールしている。なお、高いと唄われている「高さ」とは、この商品の値段ではなく、この商品に対する理念のことである。また、「やすい」も値段ではなく、使い勝手のし易さという意味である。

■雪国まいたけ
■白まいたけ
■雪国えりんぎ
■雪国ぶなしめじ
■雪国もやし
■雪国大粒丹波しめじ
■雪国本しめじ
■雪国やさい革命(野菜炒め用カット野菜)

■代表取締役社長 大平喜信
■常勤監査役 櫻井利一
■常務取締役兼執行役員 大平正夫
■監査役 川邊信一郎
■取締役兼執行役員 高橋育美
■監査役 茨木宏隆
■取締役兼執行役員 桜井俊雄
■監査役 北村計
■取締役兼執行役員 結柴敬雄
■取締役兼執行役員 宮崎浩
■取締役兼執行役員 柏原一彦
■取締役兼執行役員 小林嗣明
■取締役 若井進

■株式会社雪国商事(ガソリンスタンド経営・外食事業)
■(有)今町興産(原材料仕入)
■株式会社トミオカ(原材料仕入)
■株式会社雪国バイオフーズ(もやし、カット野菜の生産委託)
■株式会社トータク(食品事業)
■上海雪国高榕生物技術有限公司(食品事業)
■青島東冷食品有限公司(食品事業)
■ユキグニマイタケコーポレーションオブアメリカ(食品事業)
■ユキグニマイタケマニュファクチャリングコーポレーションオブアメリカ(食品事業)
■株式会社パワースティーション新潟(電力)
■長春雪国高榕生物技術有限公司(食品事業)

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