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by amor1029
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★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)

★【【写真+なでしこ歴史詳細+youtubeあり】】:「なでしこ記者会見」 (一問一答)、都内のホテルで記者会見し、優勝を報告した。記者会見の一問一答は・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:なでしこ ジャパン, なでしこジャパン 選手, なでしこジャパン メンバー, なでしこジャパン 沢穂希, なでしこジャパン 佐々木則夫監督



072.gifなでしこ記者会見072.gif 

2011.7.19
sankei

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サッカー女子W杯で初優勝の偉業を成し遂げ、19日に帰国した女子日本代表「なでしこジャパン」が同日、都内のホテルで記者会見し、優勝を報告した。佐々木則夫監督は短期間で成長し、世界一になったことに「びっくりした」と素直な感想を語った。また、今大会を「代表としての集大成」と話していた主将の沢穂希は「夢をあきらめずに頑張ってよかった」と喜びをかみ締めつつ、今後も現役を続けることを明言、五輪で金メダルを獲得するのが「今の目標」と意欲を示した。一問一答は次の通り。


佐々木監督:「国民のみなさんに少しでも勇気と感動を与えたいと戦った。チームが一丸となって結束し、偉業を成し遂げられた。9月にはロンドン五輪のアジア予選を控えているので、この優勝に恥じることのない戦いをして、五輪出場権を獲得し、なでしこの雄姿をまた見せたい」


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世界一になるターニングポイントは?

佐々木監督:「(1次リーグの)第3戦イングランド戦で0-2で負けたことで、課題が新たになった。これによって士気が高くなり、足元を見つめられた。決勝トーナメントへ行く道筋だったと思う。これでドイツに勝て、自信を持ったし、勢いで行けた」

佐々木監督:「3年前の秋のキャンプで次の目標として、チャンピオンを目指そうと話してスタートした。親善試合などで質を上げ、選手間では自分たちでチームを強くしたいとの思いがあった。力を上げてアジア大会を初制覇し、優勝の感触を味わいながら、一戦一戦成長していったと思う。今回も何とか4位以上が得られると思ったが、1次リーグを2位で通過し、強国と当たることになり、勝つとしたら90分では難しいと思った。それが耐えて偉業を成し遂げ、短期間で成長していったのにはびっくりした」
 

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決勝のPK前は?

佐々木監督:「ギャグをやろうとしたが、頭が回らなかった。相手は勝ったと思ってのPKだったので、天からの恵みみたいなものと自然と受け止め、笑いが止まらない雰囲気だった」


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今年の目標は?

佐々木監督:「北京五輪が4位で終わり、悔しい思いをした。自分としては、メダルを取るという仕事を成し遂げないといけないので、ロンドン五輪ではメダルを取りたい。世界チャンピオンになったことで、足を見つめ、かぶとの緒を締めて9月からの予選に臨み、ロンドン五輪でもこういう(優勝)報告できるように進めたい」


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今の気持ちは?

沢穂希主将:「ドイツでは優勝の実感なかったが、成田空港ではたくさんの報道陣がおり、今までのなでしこではなかったことなので、やっと実感がわいた」
 

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金メダルは重いか?

沢穂希主将:「私自身は日本代表に入って18年目。ここに来るまでの道のりは長く、世界で全メダルを取るとは考えられなかった。夢をあきらめずに頑張ってよかった。こんな日が来るとは思わなかった。みんなが頑張ったからだと思うし、本当に大会を通じて全員が最後まであきらめず、団結力を発揮できた大会だと思う」


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大会中、監督とは?

沢穂希主将:「監督は紅白戦をガンガンやるタイプで、なかなか選手からは練習量について言えなかった。コンディションと相談して(練習を)させてもらった。いい信頼関係をつくれたのが、大会を通じてよかった」


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ターニングポイントは?

沢穂希主将:「やはりイングランド戦です。結果論として、負けて得るものはあった。反省点としては、日本らしいサッカーができず、攻め急いだ。その後、ドイツ、スウェーデン、米国に生かせた。選手間ではビデオを見て反省点、修正すべきところを話した」


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試合の前に被災地のビデオを見たと聞きますが

沢穂希主将:「私たちはたくさんの人に応援してもらっている。活躍することで少しでもパワーや勇気を与えられればと思った」


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今大会を代表の集大成と話していましたが、今後、代表としてのチャレンジは?

沢穂希主将:「人間は欲が出るもので、金メダルを前にすると五輪でもメダルを取りたくなる。五輪でも金メダルを取るのが今の目標です。そして、日本で(女子の)W杯ができる日がきたらいいなあと思います」






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日本サッカー女子代表

愛称  なでしこジャパン
監督  佐々木則夫
最多出場選手  澤穂希(173試合)
最多得点選手  澤穂希(80得点)

女子W杯
出場回数 6回 (初出場は1991)
最高成績 優勝(2011)

オリンピック
出場回数 3回
最高成績 4位(2008)

AFC女子アジアカップ
出場回数 12回
最高成績 準優勝(1986,1991,1995,2001)

アジア競技大会
出場回数 6回
最高成績 優勝(2010)



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女子代表は「なでしこジャパン」という愛称が定着している。愛称制定というアイデアは日本サッカー協会(JFA)の女性スタッフからの提案がきっかけである。それは「『日本代表』では男子のイメージが定着しているが、オーストラリア女子代表が「Matildas(マチルダス)」という愛称で親しまれており、日本でも同様に愛称をつけてみるのがいいと思う。そしてこれを契機に女子代表の認知度を高め、女子サッカーの発展につなげたい。」というものであった。

このころJFAでも「女子サッカーの発展なくして日本サッカーの発展なし」との考えによりキャプテン・ヘッドクオーターズ(CHQ)で「女子サッカーの活性化」に積極的に取り組んでいたのでこのアイデアを採用することにした。

やがてこのことがマスコミに伝わり、のちに公募により制定となった。そして2004年5月14日にJFAから愛称募集が発表されると、翌5月15日から締切日の6月20日までに約2,700通の応募があり、2回の予備選考を経て7月5日の審査委員会による最終選考で愛称を「なでしこジャパン」と決定し7月7日に発表した。

この愛称は、アテネオリンピックのアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」ということばがよく使われていたため、それをもとに「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「ジャパン」とした。

ちなみに次点(優秀賞)には、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏(やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、ユニフォームの色(ブルー)とレディー(L)を組み合わせた「エルブルー」、ブルーと夢(ドリーム)を組み合わせた「ドリームブルー」があった。

愛称制定後、最初の試合となった7月30日のキリンチャレンジカップ・カナダ戦(国立霞ヶ丘競技場)では3-0で勝利し、全国にその名を印象づけた。

命名に際し、日本サッカー協会は「なでしこジャパン」を商標登録を申請し、2005年3月11日付けで登録された。また2004年新語・流行語大賞の候補60語にもノミネートされた。


072.gif歴史 072.gif

(詳細は日本の女子サッカーを参照のこと)
1960年代から70年代に掛けて、日本ではサッカー競技を行う女性が増え始め、やがて各地にチームが誕生すると各地域ごとに小規模なリーグによる対戦が行われるようになった。

1980年には全日本女子サッカー選手権大会が始まり、翌1981年には日本女子代表チームとして日本国外のチームとの試合が行われるようになる。当初は各地域の選手ごとに編成された「選抜チーム」を臨時に任用された監督が指揮するというものであったが、1986年に鈴木良平が初の女子代表専任監督に就任すると、日本全国のチームを対象とする「全日本」チームが編成されるようになる。そして1989年には女子の全国リーグである「日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)」が誕生し、1991年の第1回FIFA女子世界選手権・中国大会にも参加した。



072.gif日本女子代表と国際大会072.gif

★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)_a0028694_9205259.gif鈴木保・宮内聡監督時代


女子サッカーがオリンピック種目となったのは1996年のアトランタ大会からである。

当時は前年に行われた第2回FIFA女子世界選手権・スウェーデン大会の上位8カ国に出場権が与えられたが、鈴木保率いる日本はグループリーグでドイツに0-1、ブラジルに2-1、スウェーデンに0-2の成績を収め、かろうじてベスト8入りし出場権を獲得。しかし本大会ではグループリーグでドイツに2-3、ブラジルに0-2、ノルウェーに0-4と3戦全敗に終わりグループリーグ突破はできなかった。

だがJFAは、次に行われるシドニーオリンピック(2000年)に照準をあわせ、1994年から23歳以下(U-23)の選手による「シドニープラン」により女子代表の強化を図っていたため、この成績に満足したのではと思われる。

ところが現実には思惑通りに行かなかった。宮内聡率いる日本女子代表前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回FIFA女子世界選手権・アメリカ大会では、初戦にカナダと1-1と引き分けたものの、つづくロシアに0-5、ノルウェーに0-4で敗戦。

ベスト8入りを逃したため、目標としていたシドニー五輪出場を逃す。すると女子サッカーへの関心は瞬く間に低下し、L・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせることになる。やがてそれはL・リーグからの相次ぐチームの脱退を引き起こし、日本の女子サッカーは衰退の危機に瀕することになった。


★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)_a0028694_9205259.gif上田栄治監督時代

2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治(元ベルマーレ平塚監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期するべく2004年アテネオリンピックに向けたチーム再編を図った。しかし就任当初は敗戦つづきで、とくに2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ(「FIFA女子世界選手権」改め)・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねて6月にタイのバンコク行われた「第14回アジア女子選手権」では3位決定戦で格下の韓国にまさかの敗戦を喫してしまい、本戦最後の座を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との「FIFA女子ワールドカップUSA2003予選 プレーオフ」(ホーム・アンド・アウェー方式)に進出することになった。

7月5日にメキシコのアステカスタジアムで行われた第1戦は、観客10万人のほとんどが地元・メキシコを応援する状況で、しかも慣れない高地ゆえに多くの選手が体調不良という状態のなかで2-2の引き分けとした。そして7月12日に国立霞ヶ丘競技場で行われた第2戦では当時の日本女子サッカーで最多となる12,743人の観客を集め、澤穂希と丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利し出場権を獲得した。

この二戦により得た「薄氷の勝利」は新聞、テレビなど各マスメディアにも大きく取り上げられ、結果として女子サッカーに注目が再び集まるきっかけとなったのである。9月に行われた本大会ではアルゼンチン戦でFW大谷未央がハットトリックを決めるなど6-0で勝利したものの、ドイツに0-3で敗戦。つづくカナダ戦は先制しながらも1-3でグループリーグ敗退となった。

これらに基づき、上田はDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネオリンピックでは出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選「AFC女子サッカー予選大会2004」を日本で実施。

3グループに分かれての一次リーグではベトナムを7-0、タイを6-0で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である北朝鮮を圧倒的不利の予想を覆す3-0で降し、韓国を降した中国とともに2度目の五輪出場を果たした。

北朝鮮戦では観客31,324人を集め、女子サッカーでの記録を更新。テレビ朝日系列での放送視聴率も関東エリアでは平均視聴率16.3%、最高瞬間視聴率(放送終了直前の午後9時16分)は関東地区で31.1%、関西地区で23.0%であった。これは北朝鮮とはそれまで1勝1分け7敗というデータとオリンピック出場が決定する試合であるとの情報が事前に大きく宣伝されていたことも一因ではないかと思われる。

アテネオリンピック本大会では3グループに分かれてのグループステージにおいて優勝候補のひとつ、スウェーデンを1-0で破る活躍を見せた。つづくナイジェリア戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。

決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補のアメリカ合衆国と対戦し1-2で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより「フェアプレー賞」を受賞した。

これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである日本女子サッカーリーグ(略称:L・リーグ)の人気も上昇し観客が飛躍的に増加。とくに五輪後には「なでしこリーグ」という愛称も採用され、ますます注目を浴びる存在になっている。

さらに「なでしこ」という名称を用いた女性向けのサッカー教室や大会、そして2005年から「なでしこスーパーカップ」も開かれ、女子サッカーのブランド名として活用されるようになった。


★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)_a0028694_9205259.gif大橋浩司監督時代

2004年10月、日本サッカー協会は前月に退任した上田の後任に大橋浩司を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月18日のキリンチャレンジカップでチャイニーズタイペイと対戦。

11-0という大量得点に加え、被シュート0という内容で上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。

一方、ユニバーシアード日本女子代表は、ユニバーシアードにおいて2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。また、イズミル大会では監督に本田美登里(岡山湯郷Belle(L・リーグ)監督)を任命。日本では各年代を通じて初の「女性代表監督」であり、銅メダル獲得により女性サッカー指導者もレベルアップしていることが証明された。

2006年にカタールの首都・ドーハで行われた第15回アジア競技大会では、阪口夢穂、永里優季という新戦力が活躍し、グループリーグで強豪の中国を破り決勝トーナメント進出。最後は決勝で同じく強豪の北朝鮮にスコアレスでPK戦まで持ち込んだものの敗れ、準優勝となった。

2007年に中国で行われた2007 FIFA女子ワールドカップでグループリーグA組となり、アルゼンチンに勝利したものの、イングランドと引き分け、最後のドイツに敗北しグループリーグ敗退となった。また、日中関係の問題から日本選手に対してのブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後に日本選手らが「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国のマスメディアから称賛された。


★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)_a0028694_9205259.gif佐々木則夫監督時代

2008年1月、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫が監督に就任。2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008で初采配の監督のもと、なでしこジャパンは3戦全勝で大会初優勝。日本女子代表初のタイトル獲得となった。

続く5月末から6月初めに行われた2008 AFC女子アジアカップでは3位となり、澤穂希が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した。

8月、満を持して向かえたオリンピック北京大会は、予選グループリーグのニュージーランド戦で2-2の引き分け、アメリカ合衆国戦では0-1の敗戦と、苦戦をしいられた。しかし第3戦のノルウェー戦は先制されるも、後半に大量得点。5-1の勝利で、グループリーグを突破し、その勢いで準々決勝の中国戦は完全アウェーの中でも2-0で勝利。初のオリンピックベスト4進出となった。

再びアメリカ合衆国との対戦となった準決勝、日本は先制点を奪うが、次第にペースを取り戻したアメリカに圧倒され、2-4の逆転負けを喫した。3位決定戦のドイツ戦でも日本が主導権を握る時間帯があったものの、後半に失点、0-2で敗戦した。こうして、オリンピック北京大会はなでしこジャパンにとって、忘れ物をしたような大会となったが、その健闘に世界が注目した大会でもあった。

この成果により、世界各国から対戦のオファーが届き、2010年1月にはチリで行われたBICENNTENIAL WOMAN'S CUP 2010に参戦。5カ国による総当たり戦で3勝1分により優勝
した。

東アジア女子サッカー選手権2010は前回に続き3戦全勝で2連覇を達成。11月に中国の広州で行われた第16回アジア競技大会では無失点で決勝へ進出し、因縁の相手である前大会の王者北朝鮮を1-0で下して初優勝した。

そして2011年、6月よりドイツで行われた2011 FIFA女子ワールドカップは、日本サッカーの歴史のみならず、東日本大震災を被災して3ヶ月の日本国民にとって、記憶に残る記念すべき大会となった。

世界ランキング4位で大会に臨んだなでしこジャパンは、予選リーググループBでニュージーランドとメキシコに勝利、最終戦のイングランドには敗れたものの、グループリーグ2位で1995年大会以来となる決勝トーナメント進出を決めた。

決勝トーナメントでは初戦、大会3連覇を狙う地元ドイツに延長戦で1-0で勝利し、世界を驚かせた[4]。準決勝のスウェーデン戦は得意のパスサッカーで3-1で快勝[5][6]、決勝は世界ランキング1位、対戦成績が0勝21敗3分という、いまだ日本女子代表が勝利したことのない強豪アメリカとの対戦となった。

決勝戦は終始アメリカの猛攻にさらされ、後半、先行を許すが同点に追いつき、延長戦に持ち込む展開となった。先行された延長も残り4分、澤穂希の同点弾で2-2とし、PK戦にもつれ込んだ勝負を3-1で制し、アメリカに対し歓喜の初勝利(公式記録は引き分け)。年齢制限のないフル代表としては男女を通じ、初の世界大会優勝という快挙を成し遂げた。

チームはフェアプレー賞、澤穂希が得点王とMVPを受賞。 なでしこ優勝チームは各国チームが悩む世代交代問題と、戦術とするパスサッカーに必須のチームワークを、円滑なコミュニケーションと上手なオンオフの切り替えで、うまくまとめあげたチームと評された。

また、大会の試合後、東日本大震災に対する世界の支援へ感謝を表す横断幕をかかげ、会場の大きな拍手を受けた。各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカーとともに、その戦いぶりを賞賛した。

この優勝により、なでしこジャパンは国際Aマッチ代表ユニフォームの左胸エンブレムに、ワールドカップ優勝回数を示す「星」を付け加える栄誉も獲得した。



072.gif歴代監督072.gif
市原聖曠(1981年)
折井孝男(1984年)
鈴木良平(1986年 - 1989年)
鈴木保(1989年 - 1996年・1999年)
宮内聡(1997年 - 1999年)
池田司信(2000年 - 2001年)
上田栄治(2002年 - 2004年)
大橋浩司(2004年 - 2007年)
佐々木則夫(2007年 - )


現在のユニホームデザインは男子代表と共通だが、首下や脇下のラインにナデシコの花の色であるピンクをあしらっている。

男子は監督の姓を冠した「(何某)ジャパン」が用いられ、監督が交代するごとに変わる(加茂ジャパン、岡田ジャパン、オフトジャパン、ジーコジャパン、ザックジャパン)のに対し、女子は変動がないのが異なる。

(wikipedia)



★【写真+なでしこ詳細あり】:なでしこ記者会見 (一問一答)_b0013789_6261018.gif

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by amor1029 | 2011-07-20 09:20 | スポーツ