★【写真・経歴つき】;福島県知事が東電社長に「福島で暮らせ!」発言、対する厳しいネットの声
2011年 06月 23日
福島県知事が
東電社長に
「福島で暮らせ!」発言
対するネットの声
2011.6.22
livedoor
東京電力の清水正孝社長と次期社長に内定した西沢俊夫常務が21日、福島県庁を訪れ、福島第1原発事故を改めて謝罪。佐藤雄平知事は「福島に2、3時間来ても実態は分からない。100日間くらい暮らしてみなさい」(「毎日新聞」電子版より)など、強い口調で不満を訴えた。両氏はうつむいたままだったという。清水社長は28日の株主総会で事故の責任を取って辞任する。
これに対し、ネット掲示板2ちゃんねるでは次のような声が上がっている。
「なんで原発誘致した知事が被害者面してるの? 」
「知事も推進派だったんじゃないの? 」
「東京電力福島支店にも対策本部を置いてはどうか?」
「責任を取って辞めるって意味がわからない」
「正論だが誘致したのはお前だろ 」
など東電への非難もさることながら、昨年、福島第一原発3号機へのプルサーマル受け入れを承諾した佐藤知事に対して厳しい声も。
はたして知事はいつまで被害者の立場でいるつもりなのか。原発推進派が掲げていた「絶対安全神話」を鵜呑みにし、積極的に原発を稼働させてきたことについて、せめて県民や周辺地域の人々に対し、謝罪と説明があっても良いはずである。
一方、原発を推進してきた関係者面々に対して、東京など離れた場所からではなく拠点を福島に移して活動をするべき……という一部国民の意見、こちらは完全にスルーらしい。
佐藤雄平
(さとうゆうへい)
生年月日 1947年12月13日(63歳)
出生地 福島県南会津郡下郷町
出身校 神奈川大学
前職 衆議院議員秘書
所属政党 (無所属→)
(民主党→)
無所属
称号 経済学士
親族 叔父・渡部恒三
略歴
福島県南会津郡下郷町生まれ。福島県立田島高等学校、神奈川大学経済学部卒業。大学卒業後、叔父にあたる渡部恒三衆議院議員(のち衆議院副議長)の秘書を長らく務める。
1998年、第18回参議院議員通常選挙に無所属(民主党・社会民主党・公明党推薦)で福島県選挙区から出馬し、初当選を果たした。2004年の第20回参議院議員通常選挙で再選。
2006年、佐藤栄佐久福島県知事(同じ民主党に属する玄葉光一郎衆議院議員の義父にあたる)の辞職に伴う福島県知事選挙に、参院議員を辞職して出馬。民主党、社会民主党の推薦を得て、自由民主党が擁立した弁護士の森雅子らを破り、当選した。当初民主党は森を擁立する方向で調整を進めていたが、告示直前に森が自民党からの出馬を表明したため急遽佐藤が擁立された。
2007年3月6日、県議会で、知事は一連のデータ改ざんや原子炉緊急停止の隠ぺいについて東京電力を批判したうえで「県民の信頼が大きく損なわれている」「(原子力政策は)国策であると同時に公益事業。技術的に安全が保証され、社会的に安心感を与えることが大事。プルサーマル計画は議論以前の問題」としてプルサーマル計画再開に慎重な姿勢を取った。
その後、2009年まで消極姿勢であったが、双葉町・大熊町など原発立地の地元4町が受け入れを決定、また、県議会における自民党福島県連の度重なるプルサーマル導入要求などがあり、2010年8月、東京電力が福島第一原子力発電所3号機(大熊町)で計画していたプルサーマル受け入れを決定。
2010年10月の福島県知事選挙では、政党からの推薦は受けなかったものの民主、社民両党の支援に加え、自民党県連斎藤健治幹事長が「プルサーマル受け入れなど要望のほとんどを聞いていただき、政策は一致している」と表明し「原子力政策の推進」など20項目の政策申し入れ書を渡すなど自民・公明両党の県連からの支援も受け、日本共産党公認の佐藤克朗を大差で破り再選を果たした。2011年4月、東日本大震災復興構想会議委員に就任。
親族
佐藤知事は前知事と偶然同姓だっただけで、血縁関係は一切ない。
叔父・渡部恒三(民主党衆議院議員、元衆議院副議長)
従弟・渡部恒雄(東京財団研究員、渡部恒三の長男)
プルサーマル計画受け入れ
2003年10月6日、自民党の核燃料税等検討プロジェクトチームは、自治体の裁量で電力会社に使用済核燃料税を課すことに対して、代替措置として、発電所内での使用済み燃料の長期保管を検討するよう自治体側に要請する中間報告案を提出した。同案では、使用済核燃税の拡大は、原子力推進に重大影響を及ぼすと指摘し「不当に強引・突出した課税が行われる場合には、法改正を視野に入れる」として自治体側への裁量制限を示唆した。これは、使用済み燃料を、使用済核燃料貯蔵施設・再処理施設に搬出せずとも、発電所内プールで長期・多量に保管する事をこれからも可としたものである。
2009年2月24日、県議会で、自民党の佐藤憲保議員は、プルサーマル計画について議論再開を求めた。佐藤知事は「慎重の上にも慎重に熟慮を重ねていかなければならない」と回答した。 3月4日、県議会で、自民党の吉田栄光議員は、凍結されたプルサーマル計画について「東京電力の信頼回復の取り組みについて、地元としては維持基準を含め評価できる」「安全確認と確保が保証された」として議論再開を求めた。
同年6月22日、県議会最大会派の自民党は、県内の原子力発電所でプルサーマルを実施しないよう求めた2002年10月の県議会意見書を凍結すべきとする見解をまとめ、佐藤憲保議長に申し入れた。
6月23日、県議会で、知事は「プルサーマル計画を含め、原子力政策については、県民の安全・安心の確保を最優先に慎重に対応する」と回答した。
6月25日、自民党の斎藤健治議員は、「自民党原子力発電対策本部会議での検討の結果、東京電力との信頼関係は回復した」と延べ、県にプルサーマル計画の議論再開を求めた。
2009年8月、衆院選の東北25選挙区の立候補者95人に対してのプルサーマル計画の是非を問うアンケートでは、自民党は公認候補全員が実施に賛成、民主党の公認候補は賛否が分かれ、共産、社民両党の公認候補は全員が反対した。
10月2日、県議会で、自民党の太田光秋議員は「我が党はこの間、原子力発電対策本部において、耐震安全性も含め、東京電力及び国の安全・安心に向けた不断の取り組みを検証し、信頼が回復されたものと判断し、プルサーマルを実施しないよう求めた県議会意見書を凍結すべきとの結論で一致している」として計画の推進を求めた
12月7日、県議会で、自民党の清水敏男議員は、プルサーマル計画について「既に安全性が確保された技術であり、国内第1号のスタートは我が国の原子力史上大きな意味を持った前進であると我々は認識している」として計画の推進を求めた。
2010年6月30日、福島県議会本会議で福島第一原発3号機のプルサーマル推進に反対する請願の不採択が多数となった。
2010年8月6日、広島平和記念日に佐藤知事は、耐震安全性、老朽化対策、10年近くプールに貯蔵したままのMOX燃料の健全性の3点について、「県が求めた条件が満たされ、最終的に受けることとした」として、福島第一原発3号機でのプルサーマルの実施を了承した。これに先立ち、県や地元、有識者らによる連絡会が検証を行い、問題なしとの結論を出していた。
プルサーマル受け入れ決定により、「核燃料リサイクル交付金」計60億円が福島県に交付された。前任の知事で同計画に反対した佐藤栄佐久によれば、県議会でも安全性に関する議論らしい議論は無かったという。
同原発は2011年3月11日の東日本大震災により、国際原子力事象評価尺度7の大事故を起した。事故後1ヶ月以上が経過したあとも、放射線物質封じ込めの見通しは立っていない危険な状態が続いている。
6月5日には、東京電力福島第一原子力発電所からおよそ1.7キロの道路脇の土からも、プルトニウムが検出された。
(wikipedia)
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