★ネトゲ婚はアリ?廃人同士で結婚してみた
2011年 05月 25日
ネトゲ婚はアリ?
廃人同士で結婚してみた
2011.5.24
excite
恋は盲目、あばたもえくぼ。勘違いでも何でもいいから、結婚という一大事には、かなりの決断が必要だ。
ところが、結婚しなければ生きていけないような差し迫った状況が、昔に比べて少なくなっている。家電やコンビニが発達し、1人分の生活費を稼ぎながら細々と独身生活を送っているとそれなりに快適で、結婚への切迫感が薄らいでいく。自分1人である程度できてしまうという錯覚は、決断への足かせになる。
仮想世界での出会い
私の決断は、仮想世界における勘違いから始まった。
オンラインゲームには、1人で剣のレベルを上げるだけでは先に進めなくなる“壁”がある。ほかのユーザーとパーティを組んで、傷を癒やす魔法をかけてもらい、互いに助け合わないと何もできない。現実世界では1人でいるのが好きなのでマイペースでやってきたが、ゲーム世界で初めて他者を強く求める気持ちが芽生えた。
ゲーム世界では、レベルが高いだけでその人が魅力的に見えてくる。彼は、単純にレベルが高かっただけでなく、蘇生能力を持っていた。一度死んでも、息を吹き込んでくれる。そんな強烈な体験は、現実ではなかなか得られない。
さらには、敵に殴られたくらいでは即死しない、打たれ強いヒーラー(回復役)だった。モンスターが大量に湧くダンジョンでは、ヒーラーの存命に全員の命がかかってくる。
最後まで生き残った彼に、パーティ全員が蘇生されたこともしばしばだった。攻撃に耐える姿も、回復魔法を唱える横顔も、ログイン時に浮かび上がるハンドルネームさえ、何もかもが格好良く思えた。
「夫はマンモスを狩りにいき、自分は木の実を採取して待つ」原始時代さながらの分業観がふと脳裏によぎった。今では得られにくい、他人がいなければ存命すらできないという、生々しい実感だ。
正確には、前衛に立って敵をなぎ倒していたのは、私の方だったが……。後ろに彼がついてくれるから、安心してHPぎりぎりまで削って敵を倒せる。そんな信頼感がなければ、ゲームといえども息の合ったプレイはできない。
ネットと現実のアイデンティティ
街角で待ち合わせをして、彼が現れる。なぜいつものヒーラーの衣ではないのか、なぜあの自慢の杖を持ってきていないのか、頭が混乱した。だが、会話をすると、まぎれもなく“彼”だと分かった。話し方も思想も価値観も、私の知る“彼”と同じだった。
会っていると、目の前の彼の姿とネット上での認識(アイデンティティ)と、2つの人格が交差するようで、疲労感を覚えた。
それを察してか、早々に帰宅して夜中にゲーム世界で落ち合うことになった。昼間に会っている時よりも夜にゲームをしている方が、何でも話し合える気がした。
ゲームキャラと現実の姿が融合するまでに、半年はかかった。身体的特徴や職業といった現実世界の属性と、ゲーム時代から知っていた精神性とが統合し、新しい存在ができたようだった。
仮想世界でのデジタルな出会いが1度目だとすれば、現実世界でともに過ごし徐々に信頼を形成していくのは第2の出会いであった。彼という同じ人に2回出会ったような気がした。
ネットと現実の人格の再構成という2度目の出会いは、自然に起こることではなく、互いに歩み寄ろうとする当人たちの意志によるものだと思う。だからネットで意気投合したからといって、何でも上手くいくとは限らない。
一方で、仮想世界の出会いはそれほど特別ではないとも考える。結婚して生活をともにしてから「こんなはずではなかった、幻滅した」とよく聞くので、現実世界でも似たことは起こりうるのではないか。
結婚に踏み切ったわけ
婚活では、ルックス・年齢・職業・年収というステータスが符号化される。これらは、才能や努力によって得たものもあれば、ただ運で持っているものもある。ともあれ、こうした人物評価は、過去の活動軌跡を表すだけでなく、その人の将来予測に使われる。将来のリスクを減らすことが幸せにつながると考えるならば、こうした条件を徹底的に洗い出すことになる。
当時登録していたお見合いサイトからは、毎週のように釣書(身上書)が送られてきた。しかし、誰かを選ぶことができず、その情報量にただ圧倒されて終わってしまった。
一方、ネットの出会いは現実世界での素性が分からないというリスクがある。ネットでは自分を詐称する人が多いから危険だと、友人知人からよく忠告された。しかし、現実世界のステータスを知ることが100%の素性、すなわちその人自身を表しているのかというと、それも違う気がした。
リスク回避という考え方では、相手に求める条件が色々と出てくるが、文句の付けようのない人などそうそういるものではない。理想でないのはお互いさまだ。だいたい、ゲーム世界で格好良いということは、ゲームに時間を費やす廃人だということだ。実際、その後2人揃って廃人問題に悩むことになった(参照記事「ネトゲ廃人を脱するための3カ条」)。
周りからは心配されたり反対されたりしたが、自分の人生なのだから自分さえ納得できればよいと、振り切って決断した。
たとえ失敗になったとしても、この経験が仮想世界研究の糧になればよいとも思った。研究者として生きたいのならば、研究対象に人生を投じてもよいだろう。
それが正解だったのかは最期まで生きてみないと分からないが、大いなる勘違いをしたことは恩恵だったのだと思う。
成蹊大学経済学部教授。専門は経営情報論。1995年に東京大学経済学部卒業後、監査法人勤務を経て、東京大学大学院経済学研究科に進学。Webサービスの萌芽期にあたる院生時代、EC研究をするかたわら、夜間はオンラインゲーム世界に住みこみ、研究室の床で寝袋生活を送る。ゲーム廃人と言われたので、あくまで研究をしているフリをするため、ゲームビジネス研究を始めるも、今ではこちらが本業となり、オンラインゲームや仮想世界など、最先端のEビジネスを論じている。しかし、論文を書く前にいちいちゲームをするので、執筆が遅くなるのが難点。著書に『人はなぜ形のないものを買うのか 仮想世界のビジネスモデル』(NTT出版)。
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