★ブルーインパルス航空ショー in 入間 2010.11.3
2010年 11月 04日
航空ショー in 入間



(Blue Impulse)

ブルーインパルス(Blue Impulse)は航空自衛隊松島基地第4航空団所属の曲技飛行隊の愛称である。正式な部隊名は第11飛行隊。愛称は初期のコールサイン「ブルー・インパルス]」が由来である。
概要
1958年、航空自衛隊の戦闘機教官が独断で行った編隊飛行が上官の目に留まったこと、また1959年に行われた米空軍サンダーバーズの日本公演を見た当時の航空幕僚長・源田実が打ち出した構想をきっかけに1960年、浜松・第1航空団第2飛行隊内に空中機動研究班として発足した。その後公募したニックネーム「天竜」を用いたが、この「Tenryu」の「r」の発音に管制上支障が出たため「チェッカー・ブルー」後に「ブルーインパルス」に変更。第4航空団第21飛行隊戦技研究班になるなど何度かの改編が行われた後、現在の正式名は宮城県松島基地に所属する第4航空団第11飛行隊となった。
ブルーインパルスは日本各地で行われる航空祭や民間イベント等に出演し、毎年平均20回程の展示飛行を実施している。
なお、同基地にはパイロット以外のスタッフで結成されたブルーインパルスジュニアも部活動として所属しており、各地の航空祭で展示走行を行っている。
第11飛行隊
第11飛行隊(だい11ひこうたい、JASDF 11th Squadron)は、航空自衛隊航空教育集団第4航空団飛行群に所属する航空自衛隊の飛行隊である。
コールサインは「ブルーインパルス」(Blue Impulse―蒼い衝撃)。航空自衛隊の飛行隊の中で実質上、唯一飛行隊の愛称が公式に発表されている部隊でもある[3]。 1994年10月1日、第4航空団に、当時の次期T-4ブルーインパルスとして臨時第11飛行隊を新編。翌年1995年の12月22日に「臨時」が取れ、第11飛行隊として編成された。
ブルーインパルスはこの第11飛行隊としての独立・展示飛行専任部隊化とともに、部隊の1セクションという足かせが外されることとなった。他の部隊並みの人事権が与えられたほか、非常に制限された訓練空域[4]を除けば諸外国の曲技飛行チーム並みの設備が整備されることとなり、松島基地内のアラートハンガー跡地に隊舎、ハンガー、エプロンが設置された。
創造への挑戦
部隊の標語は「創造への挑戦(Challenge for the Creation.)」。これはブルーインパルス史上最長のメンバー歴を誇る塩澤信行2等空佐(2005年現在)が、T-4準備班長の時代に掲げた言葉であり、今も連綿と受け継がれている。 またT-4ブルーインパルスの歴代飛行隊長は隊を去る際、言葉を残していく慣例がある。初代田中光信隊長「魅」、第2代阿部英彦隊長「爽」、第3代塩澤信行隊長「夢・感動」、第4代渡邉弘隊長は「風」、第5代西村弘文隊長は「墨」、第6代倉田裕隊長は「道」、そして第7代山口英章隊長は「心」である。

最新のトリビア記事