★電車での別れ際、恋人が見えなくなるまで見送っている?
2010年 10月 04日
恋人が見えなくなるまで
見送っている?
2010年
excite
電車に乗っていると、恋人同士の別れ際に遭遇することがよくあります。バイバイ、と言った後、すぐに去らずに電車が見えなくなるまでホームから見送っている彼や、列車内でドアのガラスに張り付いて、ずっと彼を見つめている彼女。微笑ましいものから、なんどまぁ大胆だな、と思うようなものまで様々。この別れ際の「余韻」ということで言えば、好きな異性との電話を切るときも、同じようなシチュエーションがありますね。「じゃあね」と言ってからも、お互いが中々切れないで……なんて経験、誰しもあると思います。
「サヨナラ」のタイミングの難しさ
愛し合う二人にとっては、またすぐに会える,話せると分かっていても、「サヨナラ」のときにはやはり名残惜しくなり、ついつい長居して帰れなくなったり、明日朝が早いのに長電話になってしまったり、するものです。「じゃあ」と、相手に言い出された側は、少し寂しい気持ちになってしまうものですし、人によっては、「今日は本当に楽しかったね」という言葉だけで、「あ、まとめに入ってる、もう帰ろうと思ってるんだな……」と感じて寂しくなる、なんて人もいるほどです。
恋人に「じゃ、おやすみ」と言ってすぐにブチっと電話を切られてしまったり、電車や車を降りて、振り返らずに去られてしまったりすると、「もしかして早く切り(帰り)たかったのかな?」「名残惜しいのは自分だけだったのかな?」と、せっかくの楽しい時間の後に不安や寂しい気持ちが残ってしまいます。
相手のことを想うならば、こういった「サヨナラ」のときには、「『残心』の仕草を」と、竹内一郎さんは著書でご紹介されています。「電話を切るときに、相手の呼吸に合わせる」ことや、「別れのあとに、見えなくなるまで振り返る」のは、恋人への気遣い、マナーでないか、というお話なのです(引用文献:『今すぐなれる「見た目美人」43のルール』 マガジンハウス 著者:竹内一郎)。
『残心』の仕草
『残心』は、日本古来の武道や芸道の用語で、辞典では「技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも、注意を払っている状態。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念」という説明がなされています。簡単に言えば、「すれ違った後も心を残す」ということが『残心』なのです。
男性に車で送ってもらったときは、車を降りても、見えなくなるまで見送る。電話で「切るね」という会話のあとは、半間おいて、相手のタイミングに合わせて切る。片方だけが振り返ったりする状況は、「気持ちが繋がっていない」と思わせてしまうもの。もちろん、そうしなかったからといって「相手のことを好きではない」ということになりませんし、過剰な余韻を嫌うタイプの人もいるでしょう。
過剰に手を振れとか、ラブラブムードを出せ、ということではなく、気持ちが残っている仕草を相手に伝えることが大事、ということなのです。例えば、「振り返ってみたら、相手はもう携帯を触っていた」なんてシーンを目にしてしまったら、ほとんどの人が、心の底でガッカリしてしまうのではないでしょうか。
「残心」は、襖を閉めて部屋を去るときや、物の後片付けをするときに、必要だと教えられてきた、日本古来の「美しい所作」の1つです。人としてのマナーとしても、この言葉はとても素敵な仕草の提案だと感じます。
好きな相手に「好かれていない」と思わせてしまうのではなく、「想ってくれているんだな」と感じて欲しいならば、「ほんの少しそこに気持ちを残す」=『残心』の言葉を、ぜひ頭の片隅に置いておいてください。そうすれば、余韻のある「いいサヨナラの仕草」ができるかも。その優しい思いやりが相手にも届き、きっと「また会いたいな」なんて思ってくれるのではないでしょうか。
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