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by amor1029
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カテゴリ:東日本大地震記事( 10 )

★【【4記事+写真あり】】:【【東日本大震災 半年】】:被災地の本当の話を知ろう!! メジャー被災地とマイナー被災地の大きな格差、給食も地域差があるという・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:東日本大震災 被災地, 東日本大震災 被災地支援, 東日本大震災被災地 陸前高田市, 陸前高田市 戸羽太市長, 東日本大震災被災地 給食


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被災地の本当の話を知るべし! 
陸前高田市長が見た「規制」
という名のバカの壁とは? 

2011.8.26
cyzo

東北地方に甚大な被害を与えた東日本大震災。発生から半年近い年月がたとうとしている今も、復興のめどは見えてこない。死者・行方不明者2,000人以上の被害を出した陸前高田市でも、がれきの撤去にはまだ数年を要するとさえ言われている。同市の戸羽太市長は、著書『被災地の本当の話をしよう -陸前高田市長が綴るあの日とこれから-』(ワニブックス)の中で、復興を阻害するさまざまな法規制の存在を冷静な視点で記している。被災地の復興をことごとく阻む壁の正体とは何なのか。これまで報道されてこなかった被災地の現実について、戸羽市長に語ってもらった。
(聞き手=浮島さとし/フリーライター)


039.gif――被災地を取材していますと、どこへ行っても「法律や条例の壁があって何もできない」といういら立ちの声を耳にします。戸羽市長もそれをずっとお感じになってきたのではないでしょうか。

戸羽市長(以下、戸羽):その繰り返しに尽きますね。たとえば、がれきの処理というのは復興へ向けた最重要課題のひとつなわけですが、現行の処理場のキャパシティー(受け入れ能力)を考えれば、すべてのがれきが片付くまでに3年はかかると言われています。そこで、陸前高田市内にがれき処理専門のプラントを作れば、自分たちの判断で今の何倍ものスピードで処理ができると考え、そのことを県に相談したら、門前払いのような形で断られました。


039.gif――県が却下した理由は何なのですか。

戸羽:現行法に従うといろいろな手続きが必要になり、仮に許可が出ても建設までに2年はかかると言うんです。ただ、それは平時での話であって、今は緊急事態なんですね。こんな時にも手続きが一番大事なのかと。こちらも知り合いの代議士に相談をし、国会で質問をしてもらったのですが、当時の環境相も「確かに必要だ」と答弁してくれた。さぁ、これで進むかと思うと、まったく動かない。環境省は「県から聞いていない」と言い、県は「うちは伝えたけど国がウンと言わない」と言う。そんな無駄なやりとりを繰り返すうちに1カ月、2カ月が過ぎてしまう。ですから、どこが何をするかという基本的なことが、この国は全然決まっていないんですよ。


039.gif――そういう場合に、県や国は決して代案を出しませんよね。「ダメ」「無理」で話が終わる。

戸羽:そうなんです。がれき処理に限らないことですが、プランを練り上げて持って行って「ダメ」と言われたら、我々は振り出しに戻るしかない。せめて「この部分は方法論として無理だけど、代わりにこうしたら目的は果たせますよ」と、解決の道を一緒に模索してくれたら、あっという間に決まるんです。よく国会議員の方々は「未曾有の国難」とか「千年に1度の災害」とか口にされていますが、であるなら、千年に1度の規制緩和をしてくれと、未曾有の国難に対応できる法律を早く作ってくれと、3月11日からずっとそれを言い続けてきてるわけです。


039.gif――規制緩和といえば、陸前高田市に最近、スーパーマーケットがプレハブの仮設店舗で再開したと報じられましたが、あれも農地転用(農地を農地以外の目的に転用すること。農地法により農水相か県知事の許可が必要)で大変だったと聞いていますが。

戸羽:あれはOKが出るまでに4カ月かかりました。津波で流された量販店さんが、プレハブの仮設店舗で営業を再開してくれると言ってくれまして、食料が枯渇していた時期でしたから、市としても大変ありがたいと。そこで民間の方の農地を借りてスタートしようとなったら、国から「待った」がかかった。その土地は中山間(地域等)直接支払制度が適用された農業振興地域の農地だからダメだ、と言うわけです。ようするに、補助事業で整備した農地なのだから、どうしても店を作りたいなら補助金を返還しろと。しかも農地転用にも時間がかかると。


039.gif――復興の支援どころか邪魔をしているだけですね。何が被災者のためになるかではなく、現行法を守ることにしか関心がない。

戸羽:ふざけるなと言いたいわけですよ。食料の調達は死活問題ですよと、あくまで緊急の仮設の店舗なんですと、いくら言っても「絶対にダメ」としか言わない。それを新聞やテレビで私が言い続けているうちに世論が動き始めて、県を批判する声が高まると、ようやく4カ月たって規制を緩和してもらった。


039.gif――メディアが報じて世論が騒がないと動かない。

戸羽:残念ながらそれが現実です。被災地が生死の境目で声を上げ続け、やっと4カ月たって動く。じゃ、あなたが4カ月前に「絶対にダメだ」と言って守っていたものは何だったのと。許可が出てうれしいというより、逆にガックリきちゃうんですよね。だからよく「一喜一憂」と言いますけど、実感としては「一喜三憂」くらいの印象ですね。


039.gif―ーそれと、これも著書を拝見して唖然としたのですが、ガソリンを送ってくれた省庁が「そのガソリンは自衛隊に触らせるな」と言ってきたそうですね。

戸羽:あれも本当に......。被災直後はとにかくガソリンがなくて、内閣府の東(祥三)副大臣が来られたときに相談したら、彼は行動派ですぐに担当省庁に電話してくれまして、ガソリンがドラム缶で届くことになったんです。その後、自衛隊の連隊長と私と東副大臣で現地を車で回った時に、あまりに壮絶な現場を見た副大臣は「作業も相当危険なものになる」と心配されたんですが、連隊長に「われわれがやりますから大丈夫です」と力強く言っていただき、本当にありがたいと思いまして、話はまとまったわけです。


039.gif――それには当然ガソリンがいるわけですが。

戸羽:そうなんです。それで「副大臣の配慮で明日にもガソリンが届きますから」と連隊長にお話ししたんですが、その日の夜に担当省庁から連絡が入り、ガソリンは送るけど自衛隊にノズルを触らせるなと言うんですよ。

――何が問題だと言うんですか。この期に及んで危険物取扱資格のことですか。

戸羽 表向きはそうなんでしょうが、簡単に言えば縦割りですよね。自衛隊は防衛省からガソリン送ってもらえ、ということでしょう。そんなこと言ってる場合じゃないんですよ。あの頃はまだ、今生きている人が明日死ぬかもしれないという極限状態で、そこを自衛隊が体を張って助けてくれると言ってくれた。やっとガソリンも届く。そう喜んでたら、その言葉ですからね。担当省庁が言うには、空になったドラム缶を自衛官が片付けるために転がすのはいいけど、ノズルで給油するのはまかりならんと。もう、あきれましたね。仕方なく、危険物取扱資格を持っている方を急きょ探したりと、もう考えられないことがたくさんありましたよ。


039.gif――官僚も官僚ですが代議士も代議士で、現地に来て記念撮影して帰っていった人もいたとか。

戸羽:そういう方はかなりいました。職員から「○○さんという代議士が見えています」と言われて行ってみると、初めてお会いする方が「市長、一緒に写真を撮ってくれ」と。私とのツーショット撮影が終わったら「よし行くぞ」と帰ってしまった。被災地の現状なんて何にも聞かない。資料一枚持っていかない。中には、破壊された庁舎の前でVサインして記念撮影して帰られた東北出身の議員さんもおられますよ。


039.gif――そういった信じられないバカげたことが、3月の震災以来、被災地でずっと起き続けてきたということが、著書を読むと嫌と言うほどわかります。

戸羽:もちろん、一所懸命な代議士さんもおられますし、フレキシブルに対応していただいた省庁もあります。東北地方整備局(国土交通省の出先機関)の整備局長さんからは、「(大畠国土交通)大臣から何でも対応しろと言われていますから、要望を言ってください」と言っていただき、「本当に何でもいいですか、国交省の業務と関連性がないことなんですが」と聞くと「大丈夫です」と。


039.gif――国交省と関係ない何をお願いしたのですか。

戸羽:その時は棺桶をお願いしたんです。当時はご遺体が学校の体育館に満杯の状態でして。棺桶なんて全然ないので、火葬の際にベニヤの上にご遺体を寝かせ、段ボールで囲むというような状態でした。ご遺族も辛かったろうと思います(編注:戸羽市長も震災で奥様を亡くされている)。


039.gif――整備局は棺桶を手配してくれたのですか。

戸羽:すぐにしてくれましたね。本当にありがたかったです。ですから、すべての議員さんや関係機関をどうこう言うつもりはないんです。ただ、あまりにひどい話が多過ぎるというのも事実なんです。私がこういった批判的な意見を言うと新聞に出ますよね。そうすると記事のコピー持って県の人間が飛んでくるんです。こんなこと言っちゃ困ると。でも、残念なことに言わないと何も変わらないんですよね。


039.gif――そうした中で、復興までの目標年限を、市長は8年と区切りました。

戸羽:もちろん8年で完全に復興するなんて思ってません。とにかく家や職場、交通網がある程度回復し、なんとか普通には住めるという次元までに8年というのが目標です。早いもので、震災からもうすぐ半年がたちますが、がれきがほんの少し減っただけで、事態は何も変わっていないんです。そのことを皆さんに知っていただきたい。これから徐々に報道も減ってくると思いますが、被災地の存在をどうか忘れずに、これからも見守っていただきたいというのが私たちの強い思いです。


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戸羽 太
(とば・ふとし)
1965年、神奈川県生まれ。東京都町田市育ち。1995年から陸前高田市議を務め、07年に助役に就任。11年2月の市長選に初出馬、初当選を果たす。市長就任の直後に東日本大震災が発生。陸前高田市は甚大な津波被害を受けた。






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(七夕でにぎわう石巻市内の様子)

復興報道の影に隠れ
いまだ埋まらぬ
「メジャー被災地」と
「マイナー被災地」の格差

2011.8.26
cyzo

東日本大震災から5カ月が経過した被災地では数々のイベントが開催され、注目が集まっている。中でも、"メジャー被災地"としてその名を全国に知られるようになったのが、宮城県石巻市だ。この夏はディズニーパレードなど、地元自治体以外も協力した大きなイベントも企画された。

このような復興関連のニュース以外でも、震災発生直後から「石巻」という言葉を見聞きすることが多かったのではないだろうか。これまで渡哲也や舘ひろしをはじめとする石原軍団など、多くの芸能人が慰問のために石巻を訪れたと報道されている。なぜマスコミ出現率、つまり著名人の訪問率が高いのだろうか。その最大の理由は交通の利便性にある。

仙台から石巻は、主要幹線道路を走れば1時間以内の距離だ。震災発生後も比較的入りやすいエリアであったため早くからマスコミに取り上げられ、メジャー被災地となった。

このような被災地は他にもある。たとえば釜石、陸前高田、気仙沼、南三陸、南相馬などは震災後に知名度が全国区になっている。こうしたメジャー化した被災地では、救助や支援の車両を通すために道路が整備され、移動ルートが確保されたためにスムーズな移動が可能となり、早くからボランティアや支援を受け入れる土壌ができ上がっていた。


そのため石巻市には、多くの芸能人たちが支援に訪れることができた。被害の大きな石巻に東京から日帰りで往復できるとなれば、現実的な選択肢となるのだろう。もちろん、何らかの形で復興を支援したいという芸能人たちの気持ちは本物であろうが、芸能人のスケジュールと被災地への移動時間を考えて妥協点となっていたことも否定できない。

一方で、芸能人のボランティア活動は地元の人にはどのように映っているのだろうか。石巻市に暮らす30代の男性は次のように語る。「芸能人の慰問って言っても、避難所とか炊き出しの場所でしょ。すでに自宅で生活を始めている人にとってはあまり関係ないんだよね」

この男性に限らず、芸能人が訪問することに特別な意味を見出していない被災者も少なくない。それでも多くの人たちは「石巻に注目が集まるのはうれしい」と感謝の言葉を口にする。だが、それと同時に、一向に埋まらない復興格差について心配する声も多い。

「石巻が注目されるのはありがたいことだと思っています。でも、せっかく来ていただくならもっとほかの町に行ってもらって、現状をもっと伝えてもらいたいです。こんな言い方をするのも図々しいけど、今は支援を受けないとすべてが回っていかないから」

これは石巻で被災した40代男性のコメントだが、同様の意見は多くの人から聞かれた。この男性はいまだに安定した仕事に就くことができず、最低限の生活費を稼ぐことすら難しいという。避難所から仮設住宅に入ることができても、その先の生活がまったく見えない状況なのだ。

実際、メジャー被災地であってもまだまだ恵まれた状況とは言えない。石巻市内でも、いまだに電気ガス水道などのインフラが十分に整っていないエリアは多い。これはほかのメジャー被災地でも同じことが言える。

こうした現状と今後の動きについて、どのような対策が取られていくのか。多忙な職務の間を縫って被災体験と被災地のこれからについてまとめた『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックス)を出版した陸前高田市の戸羽市長は、「周辺の自治体と連携を始めています。とくに環境エネルギー分野では、周辺自治体との連携は不可欠ですね」と、今後の復興プランについて言及している。ゼロになったからこそできることを模索する姿勢は、今後の被災地にとって必要だろう。

だが、戸羽市長は被災地の現状を指して「まだ、何も始まっていない」と言う。瓦礫が回収され仮設住宅が建ち避難所が解体されたが、これではまだ復興に向けて前進したとは言えない。復興格差を埋めるために行政や被災者がどうすべきなのか、いまだ模索中なのが現状なのである。メジャー被災地ですらこの状況なのだから、マイナー被災地は復興へのスタートラインにすら立てていないことになる。

この格差がマスコミにより作られた要素が多少でもあるのだとしたら、いま注目が集まっていないエリアを知らしめるのもマスコミの役割だろう。ジャーナリストの端くれとして活動している筆者としては、そう考えざるを得ない。問題提起すると同時に現状を伝え続けることにこそ、マスコミの役割がある。これは、多くの被災地の人々の願いでもある。

この夏に行われたパレードや各地の祭りなどのイベントだけを注目するのではなく、復興が進む一部の地域といまだ復興の兆しすら見えない地域があり、先の見えない生活、現実的に必要なお金の心配がつきまとって気を抜く間もない人たちがまだ多くいることを知ってもらいたい。そして、私たちにできる復興支援のひとつに「被災地を忘れない」ことがあるのを心に留めておいてもらいたい。






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震災前と同じ完全給食が始まり、笑顔を見せる生徒たち
宮城県女川町の女川第一中

被災地給食 今も地域差
2011.8.27
tokyo

岩手、宮城、福島の被災三県では学校給食施設も被害を受け、今も少なくとも計六市町、百以上の公立小中学校で献立の品数不足や民間業者に弁当を外注するなどの状況が続いている。震災から間もなく半年。施設の復旧が進み、被災前と同じ水準の給食再開にこぎ着けた自治体がある一方、いまだ復旧の見通しが立たず、品数が少ない簡易給食から抜け出せない地域が残る。

「おいしかった。おかずが増え、ゆっくり味わって食べました」

夏休みが終わり、授業が始まった二十二日。宮城県女川第一中三年の渡辺佳菜絵(かなえ)さん(14)は、震災前のようなバラエティーに富んだ給食に顔をほころばせた。

女川町のすべての小中学校でこの日、震災前とおかずの数が同じ「完全給食」が始まった。同町では地震で二つある給食調理場の一つが損壊。被害を免れた調理場で給食を賄っていたが、避難所の食事作りも加わり、簡易給食しか作れない状態が続いていた。

この日の完全給食の献立はハンバーグとツナサラダ、チンゲンサイのスープ、パンに牛乳。復旧した調理場の佐々木藍子栄養士(27)は「まだ避難所生活をしている生徒がおり、学校で野菜をしっかり食べてもらいたい」と話した。

岩手県陸前高田市では、高台の給食センターが救援物資の保管場所となり、給食調理ができなかった。このため、内陸部の同県奥州市の業者に市内十五校分の仕出し弁当を頼んでいた。救援物資の保管場所が他に見つかり、給食センターの業務が九月一日から再開できるという。

福島県内では、一部の調理場が被災した、いわき市で一学期に簡易給食と完全給食を週替わりで実施。飯舘村なども一学期は簡易給食だったが、二学期開始に合わせて、ほとんどの学校が被災前の完全給食に戻った。

一方、給食センターが津波で流失した宮城県南三陸町。パンや牛乳、救援物資を給食の代わりにしていたが、今月下旬の二学期から古い給食施設を復活させ、とりあえず汁物の提供を始めた。「栄養の偏りをなくすため具材を増やすなど対応したい」と担当者は話している。 







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「三陸に家立ってるのおかしい」 
愛知・蒲郡市長 

2011.8.27
tokyo

愛知県蒲郡市の金原久雄市長が二十六日の定例記者会見で、東日本大震災で津波被害に遭った三陸海岸について「歴史的に津波被害(の記録)が残っている所に、どうして家を造ったのか不思議だ」と発言した。

被災地では今も多くの住民が避難生活を強いられており、物議を醸しそうだ。

金原市長は会見後、記者団から発言の趣旨を問われ「三陸は歴史的にも被害が散見され、明治、昭和にも津波があった。先人たちも造るなと言ってきたのに、家が立っているほうがおかしい」と繰り返した。

東海、東南海地震で想定される蒲郡市の津波にも触れ「地形的、歴史的にみて、水位は上がることはあっても東日本大震災のような津波は絶対あり得ない」と話した。十一月六日に任期満了の金原市長(三期目)は、今期限りでの引退を表明している。




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by amor1029 | 2011-08-27 18:16 | 東日本大地震記事
★【【2記事+写真+3動画あり】】:「東日本大震災 生き証人が語る真実と教訓シリーズ」検死医 高木徹也准教授が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:東日本大震災 写真, 東日本大震災 画像, 東日本大震災 検死


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(被災地に赴き検死に携わった 高木徹也准教授)

なぜこれほどの尊い命が
失われてしまったか
検死医が目の当たりにした
“津波遺体”のメッセージ  


高木徹也(杏林大学准教授)
2011.8.23
daiamond

3月11日午後2時46分。東北地方を中心に大規模な地震が起きた。その後、現地を襲った巨大津波や原発事故により、2万人近くの人が亡くなり、行方不明となっている。

この日以降、多くのメディアは被災地の人々の「生と死」について、溢れんばかりの情報を提供し続けてきた。こうした報道の数々が、被災者を勇気づけ、復興への前向きな思いを高める上で、大きな役割を担ってきたことは言うまでもない。

しかし「なぜこれだけ多くの人が亡くならなければいけなかったのか」という核心に迫った報道は、意外に少なかった気がする。報道には、時として慎重な姿勢が必要となることも確かだ。だが、震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよい頃ではないだろうか。

災害はいつかまた、必ずやって来る。だからこそ、その真相に目を向けなければ、新たな災害に備えるための教訓を得ることはできない。

私は3月から、防災学者、警察、消防、自衛隊、さらには被災地の自治体職員、医師、そして遺族など、多くの「震災の生き証人」たちに会い、取材を続けてきた。なかには、「亡くなった人たちは必ずしも『天災』だけが原因で命を奪われたとは言い切れない」と感じたケースもあった。

この連載では、そうした人々が実際に体験したこと、感じたことをベースにしながら、震災にまつわる「生と死の現実」について私なりに斟酌し、今後の防災で検証すべき点を提言していきたい。


a0028694_9205259.gif検死医が目の当たりにした「津波の遺体」“避難慣れ”も災いして被害が拡大?

「検死した遺体の中には、多額のおカネを持っていた人がいた。多い人は、現金で2000万円ほど。ある人は有価証券報告書、ある人は土地の権利書も抱え込んでいた。津波が来たときには、これらを持って避難しようと考えて、家の中の1ヵ所に集めておいたのではないか。地震の直後に急いで探し出して身に付けたという感じではなかった」

法医学を専攻する高木徹也准教授(杏林大学)は低く、通る声で話した。私は、この言葉を聞いたとき、ここ数ヵ月間、悶々としていた思いが少し消えていく気がした。

高木氏は、不審遺体の解剖数が非常に多いことで知られる法医学者である。法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、『ヴォイス~命なき者の声~』(フジテレビ系)など多数に及ぶ。3月11日の震災直後には、警察庁からの依頼で他の医師9人(そのうち、5人は歯科医)とともに被災地に入った。

高木氏は子どものころ、岩手県の宮古付近で生まれ育ったと前置きしつつ、こう続けた。「この地域の大人は、これまでに何度も“津波が来る”と言われ、避難することに慣れていた。それでマンネリになり、今回も大きな津波は来ないと思い込み、逃げ遅れた可能性がある。もしかすると、“避難慣れ”が災いしたのかもしれない」


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(高木氏が自ら撮影。上から気仙沼、釜石、宮古)


a0028694_9205259.gif多いときは体育館に1日200もの遺体が毎日のように日没まで続く検死作業

避難所のあり方は、今後の防災のためにも議論されるべきであるが、一方で住民の避難意識も検証したほうがいいと私は思う。

震災当日、住民が津波から避難する意識や姿勢に油断があった可能性があることは、3月、5月、6月と被災地に取材で赴き、消防団員や現地の住民から耳にしていた。こうして亡くなった人たちの生身の姿が報じられないと、その教訓を今後の防災に役立てることはできない。

高木氏が警視庁の緊急車両に乗り、都内から宮城県に向かったのは3月13日の夕方。宮城県内の海外沿いの道路などは破壊され、交通規制がなされていた。停電も続いていた。そこでJR山形駅前のビジネスホテルに他の医師とともに泊まった。そこから毎朝7時に警察車両で宮城県警察本部(仙台市)に向かった。

県警本部に着くと、高木氏らは、警察とミューティングを30分ほどかけて行なう。そこで、それぞれの医師が担当する遺体安置所を決める。そのうえで医師らは別々の警察車両に乗り、安置所に向かう。

その頃、県内には南三陸、気仙沼市、亘理(わたり)町などに10ヵ所ほどの安置所があった。その多くは、中学校や高校の体育館だった。震災直後ということもあり、付近の海外沿いを見ると、漂流物に混じって多数の遺体が浮いていたという。

安置所は卓球台をついたてにして、遺体を安置する場所、検視を行なう場所、身元確認をする場所などに区切られていた。震災の日より3~4日後から、親や子どもなどを探しに来た人たちが遺体を見つけては、泣き崩れていたという。検死は毎日、日没の午後4~5時頃まで続けられた。これ以降は停電のため、できなかった。

遺体は、自衛隊や海上保安庁、警察、消防などにより運ばれてきた。多いときには、1日で体育館に200ほどの遺体が並んだ。

まず、警察が泥にまみれたままの遺体の写真を撮影する。その後、学校のプールなどの水で泥を浅い流し、さらに顔のアップなどの撮影。そして、身元確認が行なわれる。ほくろや手術痕などの身体的特徴だけでなく、身に着けていた運転免許証や健康保険証なども、手がかりになるという。

この際、何かの事件に巻き込まれていないかなど万が一に備え、入念に調べられる。ここまで時間は約30分。その後、高木氏らによる検視が15分ほど、そして歯科医による歯科所見採取へと続く。県内の解剖施設は、地震や津波により破壊されていたために、ほとんどの遺体は解剖されなかった。


a0028694_9205259.gif胸部圧迫、窒息、凍死、外圧――。溺死の背景には複合的な原因があった。

高木氏は、1週間で130ほどの遺体を検死した。新聞などでは「遺体は高齢者が多かった」と報じられていたが、子どもの遺体も少なくないと映ったという。

多くの遺体を診ていくうちに、共通する特徴を見つけた。それは、顔がうっ血している遺体が多いことだった。がれきなどが速い速度でぶつかり、胸部や腹部が圧迫され、頭部から心臓に血液が還らない状態に陥ったためと思われる。

「海や川、プールなどで亡くなる溺死とは、遺体の状況が違った。これら狭義の意味での溺死は、気道に大量の水が一気に入り込み、呼吸ができなくなり、死亡する。今回の場合は、9割以上が津波による溺死ではあるが、それに複合的な要因が重なり、亡くなったと診断できるものだった」

その複合的な要因とは、主に次の4つのものだという。これらの要因のうち、いずれかがほぼ全ての遺体に見られた。高木氏は検死の際、遺体がこれらのうちどれに該当するかを診ていく。

1つは、胸部圧迫による死亡。圧迫を与えたものとして考えられ得るのは、たとえば船や車、家、がれき、さらに押し寄せる波の水圧など。これらが胸や腹部に時速数十キロのスピードで当たり、呼吸ができなくなった可能性がある。

2つめは、一気に大量の水を飲み込むことでの窒息。3つめは、いわゆる凍死。当日、津波に襲われた後、冷たい波の中で木などにつかまり救援を待ったが、寒さで体温が下がり、息を引き取った例がこれに該当する。

4つめは外圧によるもの、たとえばがれきが頭に当たり、脳挫傷などになり死亡したことが考えられる。

ここで、私は尋ねた。震災直後から新聞で「消防団員が避難を呼びかけている最中、ハンドマイクを握ったまま、亡くなった」と報じられていたことについてだ。本当にこのようなことが起きるのかを知りたかった。高木氏はこう答えた。

「推測ではあるが、2つの理由が考えられる。1つは、即死。プールなどでの溺死ならば手足を動かし、もがくから、手に持っているものも放す。今回は、堤防を破壊するほどの水圧で押し寄せてくる津波だった。あの波が直撃すると、心臓や肺など循環器に障害が起きて即死になることは想像できる」

「もう1つの理由は、即時死後硬直(そくじしごこうちょく)。死後に体が硬くなる、いわゆる死後硬直は息を引き取った後、2~3時間に始まる。今回は非常に強い、精神的なストレスにより脳に障害が起き、死の瞬間に硬直した可能性がある。それにより、たとえばハンドマイクを握ったままの姿で亡くなったとも考えられる」


a0028694_9205259.gif丸太につかまった犠牲者の不思議 遺体の姿は“場所”によって違う?

私は、こんな問いかけもした。「丸太につかまったまま、亡くなっていた遺体があったと報じられたが、これは医学的にあり得るのか」

それは凍死による、即時死後硬直の可能性があるという。「私が診た遺体の中にも、がれきに挟まり、水の中で身動きが取れないまま、凍死したと思われるものがあった。あの日の水温や気温は低く、凍死してしまったのだろう。その場合も、何かにつかまったままの姿で硬直することは考えられる」

多くの遺体の服は脱げてはいないものの、泥が大量についていた。高木氏は安置所のことを振り返りつつ、語る。

「1枚を脱がすと、泥。もう1枚脱がすと、また泥がついていた。特に高齢者は7~8枚と厚着をしていた。だから、泥だらけになっていた。近所に住むお年寄りたちで“避難所は寒いから逃げるときは厚着をしよう”などと話し合っていたのではないか」

遺体の中には、体が引き裂かれ、足や腕だけになっているものもあった。「部分遺体」と言われるものだ。ショベルカーなど重機でがれきの処理をするときに、体を割いてしまった可能性もあるという。このような死後損壊を除けば、実際には損傷は少なく、顔貌や体格が判別できる遺体が多かった。


a0028694_9205259.gif津波で家や車まで流れてくるとは――。住民も気づかなかった「本当のリスク」

高木氏は多くの遺体から感じ取った“私見”と述べたうえで、次のような興味深いことを話した。これは、新聞などではあまり報じられないことである。

「宮城県北東部にある牡鹿半島(おじかはんとう)よりも北に位置する気仙沼市や南三陸町、女川町などでは、遺体の傷は比較的少なかった。このあたりはリアス式海岸ということもあり、津波の波は高く、その水圧で亡くなった人が多いように思えた」

「一方で、南にある地域では、津波が流れてくる流速で亡くなったと思える人が多かった。田園地帯が多く、波をさえぎるものがなかったために、一段と加速したのではないか。足が切れて無かったり、頭が割れていたり、胸にがれきが刺さったままのものがあった」

私が被災地に行き、津波から逃れた人に聞くと、こんなことを話すことがあった。「津波は、波だけだと思っていた」「家や車が流されてくるとは想像できなかった」

この地域に住みながらも、意外と津波の実態を知らないのだ。今後は、想定され得る高さだけでなく、その勢いや水圧、さらには考えられ得る被害などにも踏み込んで、津波を理解する必要があるように思える。そして、津波の怖さを実感として心得るようにしていくべきなのではないだろうか。


a0028694_9205259.gif津波で身元不明者が多かった理由 検死医の心に今も引っかかるもの

高木氏らは、2回目の検視として5月下旬に岩手県に向かった。1回目、震災直後に宮城県で検死を行なったときから懸念をしていたことがあった。それは、顔がうっ血した遺体が多かったことだ。

「時間が経つと、遺体は腐り、身元がわからなくなる可能性がある。特に血が滞ってうっ血しているところは腐りやすい。顔がわからないと、一段と身元の確認が難しくなる」

その懸念は、現実のものとなった。遺体を診ると、顔から腐敗が進行しているものがいくつもあった。検死で訪れた大槌(おおつち)町では、犬や猫など動物などとの区別が難しい遺体もあった。この町では、津波が押し寄せたときに火災が起きた。

「焼死体の遺体があり、小型犬ぐらいの大きさになっていた。砂利が混ざった炭のようになり、身元や死因はなかなかわからなかった」

阪神大震災の場合は、ほとんどの遺体はその家の中で見つかった。だが今回は、自宅などからかなり離れたところで発見されることが多い。これが、身元不明者が多い理由の1つと考えられる。

高木氏は検死を終えた1週間程は、体の具合が悪かったという。遺体のことを思い起こし、夢にその姿が出てくることも続いた。

そして全ての遺体が忘れられないと言いながら、「心に強くひっかかるのが、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちの遺体だ」と話す。当日、この子たちが乗った送迎バスは津波に呑まれ、炎に包まれた。

「黒く焦げた、小さな体が折り重なるようになっていた。同じような背丈だった。かすかに残る服などから、身元の確認をしようとした」

報道(朝日新聞8月4日朝刊)によると、この子どもの母親たちは当日の真相解明を求めるために、弁護士らと今後の対応を協議しているという。

私は、遺族のこの動きは好ましいと思う。被災地で多くの死を見てきて、津波から避難する際の意識や姿勢はもっと検証されなければいけない、と考えているからだ。すべての死を「天災だから仕方がなかった」とか、「1000年に1度の津波だから止むを得ない」として責任の所在をあいまいにすることは、今後の防災の役には立たない。

最後に、高木氏は自衛隊、警察、消防などの働きを称えた。

「特に自衛隊には、心を打たれた。震災直後はまだ気温が低く、雪が降ると土砂が凍る。そのため遺体の捜索ができず、それまで捜索にあたっていた自衛官は遺体安置所に赴き、黙々と検死の補助作業をしていた。遺体を運び、体を水で丁寧に洗っていた。10代と思われる自衛官もいた。それを見ていて、こみあげてくるものがあった。遺体に関わる者として、心より敬意を表したい」


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a0028694_9205259.gif“生き証人”の証言から学ぶ防災の心得

高木徹也准教授(杏林大学)の話から、私が感じ取った今後の防災を考えるうえで検証すべき点は、主に以下の3つである。

1、避難所の体制を整え直す

高木氏の検視によると、高齢者の中には厚着をしていた人がいたという。また、多額のおカネを持ち運ぼうとしていたケースがある。これらが、津波からの避難を遅らせた一因とも言える。

今回、被災した地域の多くの避難所には、食料、水、そして石油などの燃料、トイレなどはある程度は備えられていた。だが、事前の想定を上回る人が押し寄せたことで、足りなくなった。たとえば、陸前高田市(岩手県)の中学校では、震災直後、校内に石油ストーブが2つしかなかったという。そこで教室のカーテンなどを取り外し、避難者の体に巻くことで寒さをしのいだ。

今後、避難所の体制は整え直すことが急務である。さらにそれを住民に実際に見てもらう機会を設けるなど、啓蒙も必要だろう。震災以降、すでに文部科学省は全国の学校をその地域の防災拠点として整備する方針を固めている。特に東北の三陸沿岸や四国などの津波常襲地帯は、対策を急ぐことが大切だ。


2、避難意識を一段と高める

震災当日、住民らの避難が徹底されていたかと言えば、必ずしもそうとは言えない。たとえば、記事の最後にある、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちが死亡した例などだ。ここは私も足を運んだが、丘の上に幼稚園があり、そこが明らかに安全とわかる。それにもかかわらず、園は大津波警報の発表後に送迎バスを出発させた。1台が津波に巻き込まれ、乗っていた園児5人が死亡した。

これらの理由の1つには “油断”もあるのかもしれないが、この地域は今後も大きな地震や津波に襲われる可能性が依然としてある。他の津波常襲地帯も同じであるが、やはりマンネリを打破し、緊張感を持った避難にしていく必要があるのではないか。

そのためには、津波から逃げることをごく当たり前の「文化」にしていくことが大切だ。そうすることで、マンネリを防ぐことにつながっていくのではないだろうか。教育現場などで小さいころから津波からの避難を教え込み、津波常襲地帯の「文化」にしていくことが大切である。


3、遺体から津波の実態を理解する

遺体にまつわる話は、タブー視されている傾向がある。震災から数ヵ月が経つにもかかわらず、津波に巻き込まれた遺体はどうなっているのかなど、踏み込んだ記事はほとんどない。

私は興味本位で遺体について報じることには反対だが、津波に巻き込まれたらどうなるのかといったことは伝える必要があると考えている。ところが、遺体については新聞では「がんばった表情だった」とか「眠るように死んでいた」という表現が目立つ。

これで、多くの人は津波に対しての恐怖を感じるだろうか。いたずらに恐怖を煽るのは問題があるが、自然災害の恐ろしさは事実に即して伝えないといけない。メディアはこのあたりにつき、「自己規制」していないだろうか。

読者は、高木氏の話から何を感じとっただろう。なぜ、ここまで大きな被害が出たのかを冷静に検証することこそ、いま必要なのではないだろうか。



















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by amor1029 | 2011-08-27 03:41 | 東日本大地震記事
★【東日本大震災】:「イラクが日本に義援金8億円」本がこれまでしてくれたことへのお返し」と述べ、イラク戦争後の日本の復興支援が背景にあると・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:東日本大震災 支援, 東日本大震災 復興支援ライブ, 東日本大震災 チャリティー, 東日本大震災 義援金, 東日本大震災 義捐金, 東日本大震災 被害者


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イラクが
日本に義援金8億円

2011.6.23
sankei

イラク政府は23日までに東日本大震災被災者への義援金として1000万ドル(約8億円)を日本に供与することを決めた。政府報道官が声明で明らかにした。日本外務省の緊急・人道支援課は「各国からの義援金の中では、非常に高い額だ」としている。


23日付の地元紙アッサバハによると、ある連邦議会議員は「日本がこれまでしてくれたことへのお返し」と述べ、イラク戦争後の日本の復興支援が背景にあると指摘した。


声明では、イラクの原油輸入を求める日本企業の要請に応える用意があるとも強調している。義援金も含めた財源は緊急事態に備えた2011年度予算の準備金を充てるという。拠出は21日の閣議で決定された。


日本政府はイラク戦争後、総額50億ドルの復興支援を表明、無償資金協力や円借款を実施してきた。(共同)




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by amor1029 | 2011-06-24 03:45 | 東日本大地震記事
★(写真つき)【東日本大震災】:「被災農地に慰霊のヒマワリ 7ヘクタール、220人が種まく」「復興ひまわり大作戦」と題し220人で種まき・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:東日本大震災 被災地, 東日本大震災 復興, 被災地 ヒマワリ, 復興 ヒマワリ, 慰霊 ヒマワリ, 被災地 あいりちゃん ヒマワリ


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被災農地に慰霊のヒマワリ 
7ヘクタール、220人が種まく 

2011.6.19
kahoku
 
「復興ひまわり大作戦」と題し、3月11日の津波で被災した福島県南相馬市の農家が呼び掛けたヒマワリの種まきが、18日に行われた。地元や宮城県内などからボランティア約220人が参加。津波で耕す人を失った同市の畑に、震災百か日と復興への祈りを込めて種をまいた。


この農家は、本紙「ふんばる」(5月12日付)で紹介した同市原町区萱浜の区長八津尾初夫さん(61)。萱浜では妻一子さん(58)や仲間の農家ら62人が亡くなり、「慰霊と農村復興の象徴にヒマワリを」と地元の国際農友会などを通し、参加者と種の寄贈を募った。


種は18日までに約200キロが届いた。宮城、山形、青森各県などの有志、「仙台市で避難生活を送っています」という萱浜の住民らが「ぜひ使って」「南相馬にヒマワリの輝きを」といったメッセージを寄せ、車に約40万粒を積んで持参した兵庫県の園芸家もいた。


種まきは、昨年までブロッコリーが育ち、主の農家を失った4カ所・計7ヘクタールの畑で午前9時から行われ、老若男女の住民や中学生の野球チーム、農業専攻の大学生グループなどが汗を流した。


八津尾さんは「お盆ごろにはヒマワリが咲く。身内を亡くした人には仏前に供えてもらい、種を送ってくれた多くの人には南相馬を訪れてほしい」と話す。 畑の一角でトウモロコシやサツマイモを育て、交流の集いも企画する。




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真野川の河川敷で芽吹いたヒマワリを見つめる建一さん
(福島県南相馬市)

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あいりちゃんの花
被災地で芽 

2011.6.7
中国新聞
  
広島市安芸区で2005年11月に殺害された木下あいりちゃん=当時(7)=ゆかりのヒマワリが東日本大震災の被災地、福島県南相馬市で芽を出した。地元住民に種を託したのは、父で陸上自衛隊員の建一さん(44)。事故があった福島第1原発の周辺で、放射線測定などの任務に当たっている。「復興の希望の花になれば」と願う。

市内を流れる真野川の河川敷。約500メートルにわたって双葉が並んでいた。あいりちゃんが大好きだったヒマワリ。市を通じ地元住民に託された約千粒の種は、5月中旬に植えられた。

「元気に育っているので、あいりもきっと喜んでいるでしょうね」。建一さんは目を細めた。陸自隊第13旅団(広島県海田町)の化学防護隊長を務める。4月上旬に現地入り。原発周辺の放射線量を測り、行方不明者を捜索する隊員の除染作業にも従事している。

活動エリアの福島県沿岸部は津波の爪痕も生々しい。大勢の人が亡くなり、犠牲者の中には幼い命も。建一さんは、泥の中から「放射線」と書かれた小学生の漢字練習帳を見つけた。「ノートの持ち主が、ぜひ無事であってほしい」

任務の合間を縫って、自らも被災地にヒマワリの種を植えている。まな娘を失った建一さん自身、これまで何度も励まされた大輪の花だ。建一さんは任務を終え、近く広島に戻る。「すくすく育ってほしい」。夏の訪れを楽しみにしている。








a0028694_3573329.jpg木下あいりちゃん事件
2005年11月22日午後3時頃、広島市安芸区の住宅地の空き地で、段ボール箱に入れられた小学1年の女児(7つ)の遺体が見つかった。段ボール箱は量販店で販売されたプロパンガス用こんろの箱で、黒のビニールテープで巻かれていた。同年11月30日、広島県警は、女児の首を絞めて殺害、段ボール箱に入れて近くの空き地に遺棄したとして、殺人、死体遺棄などの容疑でペルー国籍の33歳男を逮捕した。2010
                     年7月28日無期懲役の判決が下る。


059.gif星になった「あいり」★(あいりちゃんの父様のブログ)
059.gifSTOP 犯罪 星になったあいり★ (あいりちゃん支援の会運営)




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by amor1029 | 2011-06-20 04:17 | 東日本大地震記事
★(写真・昭和9年記録映像つき)「77年前の恩返し」 函館から三陸へ漁船228隻寄贈~昭和9年の函館大火で2800人余りの死者・行方不明者が出た際、函館には久慈など岩手各地から義援金が贈られた、その恩返しと・・続きは「知識の泉Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:函館大火, 東北地方太平洋沖地震, 東北地方太平洋沖地震 津波, 東日本大震災 津波, 東日本大震災 ボランティア, 東日本大震災 支援

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「77年前の恩返し」 
函館から三陸へ
漁船228隻寄贈 

2011.6.4
asahi


津波で多くの船を失った三陸へ、228隻の中古船が贈られる。北海道函館市の港から岩手県の久慈(くじ)港に向け、4日午後、台船に載せられて出発した。思いがけない応援に驚く久慈市漁協に、函館市は「77年前の恩返し」と説明している。


函館市東部にある椴法華(とどほっけ)漁港。乗組員らが出港前、小型漁船が台船にしっかり固定されているか最終確認した。


台船には「がんばれ東北!! がんばれ久慈!!」の横断幕。漁船集めに尽力した市内5漁協のうちの一つ「南かやべ漁協」の小川正毅専務理事は「漁師にとって船は命。同じ漁師として、何かしたいという思いが集まった。みんなの思いを込めて贈りたいです」と話した。


久慈市漁協は漁船617隻の93%を津波で失った。3月末、船で救援物資を久慈港へ届けた函館市から「何か出来ることはないか」と問われ、岩手県北部の同漁協は「6月にはウニの漁期を迎えるのに船がなくて出られない」と苦境を伝えた。ほどなく函館市から「中古の船を譲りたい」と返事が来た。「昭和9(1934)年の函館大火の恩返しです」


大火で2800人余りの死者・行方不明者が出た際、函館には久慈など岩手各地から義援金が贈られたという。「そんな昔の話、こちらで覚えている人はほとんどいないのに。ありがたい」と久慈市漁協の嵯峨松男参事は驚きながらも喜んだ。


函館市の上戸慶一総務部長は「コンブの種苗を出したり、イカ釣り船が寄ったり、昔ながらの縁もある」と付け加える。市内の5漁協に不要な船はないかと声をかけた。ウニやアワビの漁に使える1トン未満、長さ6~7メートルの中古船が集まった。漁師の無償提供。積み重ねて台船に並べ、運送費用は久慈側の負担で2隻の台船がそれぞれ2往復して運ぶ。


久慈市漁協は船だけでなく水産加工場などの施設を失い、津波被害は70億円に上るという。「早く立ち直り、被災した他の漁業者を支援する側に回りたい」と、届いた船は被災した県内のほかの漁協にも分けることにしている。






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函館大火(はこだてたいか)

1934年(昭和9年)3月21日に北海道函館市で発生した火災。死者2166名、焼損棟数11105棟を数える大惨事となった。


函館は江戸時代から栄えた港町であったが、しばしば大火に襲われ、市内の至る場所が火災の被害に遭っており、中でも1934年の火災は最大規模となった。


当日、北海道付近を発達中の低気圧が通過し、函館市内は最大瞬間風速39mに及ぶ強風に見舞われていた。早春の日が落ちて間もない午後6時53分頃、市域のほぼ南端に位置する住吉町で1軒の木造住宅が強風によって半壊し、室内に吹き込んだ風で囲炉裏の火が吹き散らされ、瞬く間に燃え広がった。


さらに強風による電線の短絡も重なり、木造家屋が密集する市街地20箇所以上で次々と延焼したため、手が付けられない状態となった。


時間の経過とともに風向きは南から南西、そしへ西風へと時計回りに変っていったため火流もそれに従い向きを変え、最終的には市街地の1/3が焼失する規模となった。


死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして、あるいは市域東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって逃げ場を失い溺死した者(917名)


また溺死しないまでも凍死した者(217名)もいた。20世紀前半の災害であるが、現在も函館市民の記憶に留められる災害であり、2010年現在も火災発生日には慰霊祭が営まれている。(wikipedia)


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by amor1029 | 2011-06-06 04:12 | 東日本大地震記事
★東日本大震災~貯金尽き生活困窮「食べていけない」 70日以上 缶詰中心の食生活・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい/東日本大震災, 東日本大震災 義援金, 放射能情報,放射能除去, 放射能被爆, 放射能汚染, 放射能 食物, 放射能 水, 放射能 魚, 放射能 野菜, 放射能から守る物質, 放射性セシウム, 放射性ヨウ素, 放射性廃棄物

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東日本大震災
貯金尽き生活困窮
「食べていけない」
70日以上 缶詰中心の食生活 

2011.5.28
sankei


70日以上、缶詰中心の食生活が続いている。津波でアパート2階の自宅が流された宮城県石巻市の雁部富士子さん(56)一家は貯金が尽きた。市役所から罹災証明書は交付されたが、義援金の給付は「7月以降になる」と担当者に言われた。「もう食べていけない。死ねと言ってるのと同じ」。唇をかみしめた。


「サバ、サンマ。もう見たくもない」。高血圧に悩む雁部さんだが、おかずは缶詰だけの偏った食生活が続く。一家は、以前に自衛隊から支給された缶詰で食いつないでいる。


住まいは仙台市に避難した知人が借りていたアパート。運送業を営んでいた夫の勝博さん(61)、長女の理紗さん(24)、次女の由紀さん(18)の4人で暮らす。


アパートには毎日、避難所から弁当が支給されるが、雁部さんは町内会が違うので支給されない。


勝博さんは震災前の2月末、840万円の13トントラックを買い替えたばかり。2月の売上金250万円を積んだまま津波に流された。雁部さんが働いていた水産加工会社ももうない。


運転手の仕事を探す勝博さんだが、ハローワークで年齢を告げると「60歳まで」と断られる。理紗さんも、高校を卒業して魚市場の事務職に内定していた由紀さんも仕事を失った。


6月からは県の民間賃貸住宅借り上げ制度を利用して市内のアパートに一家で引っ越す予定だ。敷金や礼金などの初期費用計24万円は県が支給してくれるはずだったが、「いつ県が入れてくれるか分からない。すぐ入金しなければ契約しない」と言われ、知人から借金してかき集めた。


3月末に市から借りた10万円の無利子融資はアパートの修理代や生活費に消えた。海水に漬かった畳を剥がし、漏電を防ぐためコンセントの差し込み口を交換しただけで1万8000円。震災で無料だった医療費も6月からは有料になる。高血圧の治療費、月約6000円が重くのしかかる。


雁部さんは「仕事も金もなくては生きていけない。一刻も早く義援金を支給してほしい」と話す。



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by amor1029 | 2011-06-02 05:31 | 東日本大地震記事
★災害ボランティアの自己満足~被災者に英語教えたい!・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい/宮城県災害ボラティア, 全社協被災者支援, 災害ボランティア 問題, 災害ボラティア募集, 災害ボラティア マニュアル, 災害ボラティア 課題, 災害ボラティア 議員連盟, 災害ボランティア 保険


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災害ボランティアの自己満足
被災者に英語教えたい!

2011.5.19
zakspa


GWに被災地に次々と乗り込むボランティアたち。なぜ人は、ボランティアに惹きつけられるのか。今回、8日間のボランティアを通じて、「人生観が変わった」と豪語する加藤友保さん(仮名・30歳)が証言する。


「たとえば、トラックから倉庫へ物資を運ぶ際に、ラインをつくって『ハイ!』、『ハイ!』と声を掛け合いながら手渡しするのですが、普段、職場では味わったことのないような一体感がありました。


それに、1日ボランティアを一緒にするだけで、知らない者同士でも絆が生まれます。確かに報酬はないですが、この体験こそ、プライスレス。やってみた人じゃなきゃわかりませんよ」


しかし、気仙沼でボランティアの受け入れをしていた某NPOスタッフは、こういった人こそ危険と警鐘を鳴らす。


「ボランティアをしたいのか、それとも自己満足をしたいのか。カタルシスを味わいたいタイプは、後者の人に多かったです。彼らは作業をえり好みする傾向もあり、使いにくい。


実際、『私は英語が得意だから、こんなときこそ英語を被災者に教えたい!』と頼んでもいないことをやりたいと主張する人もいました。個人や少数で来るボランティアに顕著で、大きなボランティア団体以外の支援を断る自治体が多いのは、こういった人の流入を防ぐためです」


その一方で、「ボランティアが特定地域に偏って集まることも問題」と主張するのは、自ら少数先鋭の組織を立ち上げて、宮城県内で炊き出しを行う“チーム王冠”の代表だ。


「今は、中心地から外れた目立たない町や村こそ人員が必要なのに、大きな団体は被災者の多いところしかカバーしません。しかし、有名な団体にしかボランティアが集まらないというジレンマがあります。自治体を含め、システム的な問題が横たわっているんです」




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by amor1029 | 2011-05-31 06:32 | 東日本大地震記事
★[[重要]] 借金も3カ月で自動相続、弁護士会が注意呼びかけ⇒東日本大震災で亡くなった人の遺族が相続する財産の存在を知った日から3カ月経過すると、負債も含めて自動的に相続が始まってしまうとして・・・続きは「知識の泉 Haru's トリビア」(http://amor1029.exblog.jp ) で読んでね!/相続手続き, 遺産相続 トラブル, 代襲相続, 相続登記 必要書類, 遺産相続, 借金 時効, 借金は身を滅ぼす, 借金地獄, 借金返済, 借金 踏み倒し, 借金返済 相談

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東日本大震災で亡くなった人の
借金も3カ月で自動相続
弁護士会が注意呼びかけ

2011.5.28
sankei


岩手県弁護士会は、東日本大震災で亡くなった人の遺族が相続する財産の存在を知った日から3カ月経過すると、負債も含めて自動的に相続が始まってしまうとして、注意を呼び掛けている。6月11日に震災から3カ月を迎え、残された家族が思わぬ負債を背負わされる恐れがある。


県弁護士会によると、民法の規定で預貯金や不動産に加え、借金も相続される。回避するには、借金も含めた財産を知ったときから3カ月以内に放棄の手続きをするか、手続き期間延長の申し立てが必要。


今回は書類が流され財産関係の有無も分からない場合が多く、また放棄する場合は権利も含め受け継ぐことができないため、期間延長を申し立てるよう勧めている。県弁護士会は「預貯金などの財産を使ってしまうと放棄もできなくなるので、まずは相談してほしい」としている。




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by amor1029 | 2011-05-29 10:09 | 東日本大地震記事
★警告~"首都圏壊滅”3・11超える巨大地震が!!(米研究チーム)⇒今後、福島と茨城両県沖で大規模な地震が起きる…。そんな物騒な分析結果を米国の研究チームが発表。2004年、インド洋スマトラ沖でM9の巨大地震が起きた後、3カ月後にM8・7の地震が発生・・・続きは「知識の泉 Haru's トリビア」(http://amor1029.exblog.jp ) で読んでね!/ 地震, 地震 雲, 地震 予知, 地震 酔い, 巨大 地震, 東日本大地震, 関東大震災, 地震 予測, 地殻 変動


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(写真ーsoichiro koriyama)


~警告~
"首都圏壊滅”3・11超える
巨大地震が!!(米研究チーム) 

2011.5.20
zakzak



今後、福島と茨城両県沖で大規模な地震が起きる…。そんな物騒な分析結果を米国の研究チームが発表した。東日本大震災から2カ月を過ぎ、余震の回数も少なくなってきているが、油断は禁物、まだまだ危険というのだ。


米国の研究チームが19日付の米科学誌サイエンスに発表したもので、過去1100年間の地震活動の記録を踏まえて分析したとしている。

 
それによると、福島、茨城両県沖では1938年の地震(M8・1)以降、1年間に約8センチの地殻変動があり、73年間でプレートが約6メートル沈み込んでプレート境界でひずみが蓄積したという。


今回、この地域で起きたM7・9の余震を考慮すると、今後起きる地震は、過去の地震よりも大きくなる可能性があると結論づけ、「今後起こり得る地滑りの範囲を見定めるため、周辺を監視することが必要だ」と警鐘を鳴らしている。


これでいくと津波で、首都が直撃される可能性もあるが、日本の研究者はどうとらえているのか。「地震学の見地からすると常識的な見解ですよ」と指摘するのは地震学が専門の琉球大名誉教授、木村政昭氏。


「2004年、インド洋スマトラ沖でM9の巨大地震が起きた後、3カ月後にM8・7の地震が発生した。先の研究はこういう例やGPSで(大陸等の動きを)観察したことなども踏まえ、結論づけている。可能性は否定できないですね」


木村氏の研究でもエリアこそやや違うが、今後、規模の大きい地震が起きる公算は「ゼロではない」とみる。


「今回、東北で大地震が起き、この地域のストレスがとれたとすると、次に警戒しないといけないのは、東北より北と南。私は北海道と茨城県南部、千葉県北部を注視しています。安全の常識として踏まえておくことが大切なんです」 天災は忘れたころにやってくる?




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by amor1029 | 2011-05-23 01:03 | 東日本大地震記事
★「お湯が噴き出した」「源泉が枯れた」 震災で全国温泉地にさまざま異変!!東日本大震災の余波は、全国の温泉にも及んでいる。震災後、急に温泉が噴き出したり、逆に今まで出ていた湯が止まったり、といった報告が出ている。・・・続きは「知識の泉 Haru's トリビア」(http://amor1029.exblog.jp ) で読んでね!/東日本大地震, 温泉 ランキング, 温泉 放射線, 温泉 東京, 割石 温泉, 柳川 温泉


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「お湯が噴き出した」
「源泉が枯れた」 
震災で全国温泉地に
さまざま異変!!

2011.5.19
excite


東日本大震災の余波は、全国の温泉にも及んでいる。震災後、急に温泉が噴き出したり、逆に今まで出ていた湯が止まったり、といった報告が出ている。


湯が出ない温泉地では観光客の足が遠のき、経営に大きな支障が出始めた。原因は地震による地殻変動の可能性が高いが、本格的な解明はこれからだ。


箱根の温泉地では湯量2割増、温度も上昇

山梨県甲府市内の、かつて公衆浴場として使われていた民家の庭で、震災後に突如地中から湯が出てきた。近隣や道路に流れ出したため、県に苦情が寄せられたという。山梨県の大気水質保全課に聞くと、「わき水」の温度を測ったところ27度あり、温泉法で「温泉」と定義される25度を上回った。以前に営業していた公衆浴場では、自噴していた湯を利用していたようで、一度枯れた源泉が地震の影響で「復活」したかもしれない。


同課で山梨県内の温泉施設を調査したところ、「湯が濁った」「出なくなった」との報告を数件受けたと説明する。ただ、今では状況は落ち着いてきたようだ。一方で「地震の後で温泉が噴き出したという話は初めて」と驚く。


岐阜県飛騨市の割石温泉では湯量が増えた。同温泉の調査を続けている岐阜大学総合情報メディアセンターの田阪茂樹教授らがインターネット上に、割石温泉の毎日の湯量データを公開している。調べてみると地震当日の3月11日、地震発生前は1分間あたりおよそ45リットル程度の湯量だったが、発生後は急激に増量し、翌12日には毎分60リットル程度に達している。


その後も変化があったようだが、5月17日現在では同55~56リットルとなっており、震災前に比べて増えたままの状態を維持している。


割石温泉では、大きな地震が発生するたびに同じような現象が見られるようで、2007年の能登半島地震の直後も湯量が増えたことがあったと伝えられている。


神奈川県温泉地学研究所に取材すると、箱根や湯河原といった温泉地でも「場所によって差はあるが、震災前より2割ほど湯量が増えた」と明かす。温度も1~2度上昇したそうだ。栄村では自噴ストップしてすぐ元通りに 一方、温泉が突然出なくなった場所がある。


山形県中央部に位置する大江町の柳川温泉だ。地震の後、源泉の湯がほとんど枯れた状態になったという。量に乏しいうえに黒ずんだ色をしており、とても温泉として使える水質ではない。予約の入らない温泉旅館は「開店休業」に追い込まれ、町では新しい源泉の掘削を視野に入れ始めたが、予期せぬ事態に頭を抱える。


東日本大震災の翌日の3月12日に震度6強の地震に見舞われ、大きな被害を出した長野県栄村の温泉はどうか。村役場に取材すると、地震で土石流が起きるなどしたため源泉を調査できない状態だとしたうえで、「特段の変化は、今のところ報告されていません」という。村内の切明温泉では、地震のすぐ後に自噴がストップしたようだが、すぐに元に戻った。


前出の神奈川県温泉地学研究所では、全国の温泉の異変は「地震による地殻変動がかかわっている」と考える。陸地が数センチ移動して伸縮が起きたことが温泉の水位にも影響を与え、水位が低くなった場所は自噴が止まったり、ポンプによる温泉のくみ上げが困難になったりしたと見られる。ただ、詳しい原因の究明はこれからだと話す。


阪神大震災など過去の大規模地震でも似たような現象が起きたものの、「震源の近くで多少の変化が見られた程度」(神奈川県温泉地学研究所)だった。今回の地震は、広く日本列島全体の地殻に影響が及んだため、震源から離れた地域にある温泉でも異変が生じているようだ。




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by amor1029 | 2011-05-19 06:38 | 東日本大地震記事