★「招き猫」の話を知ろう!! 遊女と猫の哀しい物語(ノ_・。)
2005年 01月 05日
江戸時代のこと、浅草吉原の三浦屋抱えの遊女薄雲太夫(うすぐもだゆう)は高尾太夫と全盛を競っていた。遊女と言えば体を売る女性ということになりますが、当時の太夫というのは非常に格式が高く、今のスターのような存在だった。
置屋にも武士、大名、公家などの権力者が盛んに出入りした。その薄雲が大の猫好きで、いつも猫を抱いて道中し、愛猫(あいびょう)のために友禅の布団を作り、緋縮緬(ひちりめん)の首輪には純金の鈴をつけたという。
ところが、その愛猫が化け猫に間違われ、殺されてしまう。悲しんだ薄雲は、吉原をあげての葬式を出し、近くの土手に猫塚を作ってあげた。
ある日、馴染み客の一人、日本橋の唐物屋(からものや)(雑貨屋)の主人は悲しむ薄雲を慰めようと、長崎から伽羅(きゃら)(香木)の名木を取り寄せて、薄雲の愛猫の姿を彫って贈った。
薄雲は大喜びし、その木彫りの猫を片時も離さず、道中の際にも抱いていた。この話はたちまち広まっていった。そこで猫の模造品を作るものがいて、浅草の歳の市で売り出すと大人気となった。
そして、たちまち全国の水商売を営む人々に愛用されるようになったのが「招き猫」の始まりであると「近世江都著聞集」(きんせいこうとちょもんじゅう)に書かれています。
また芸者の異名を「ねこ」と呼ぶのに因んで(ちなんで)、特に花街(はなまち)や飲食店などで「招き猫」が愛用されている。
ちなみに昔からの言い伝えでは、白猫は福を招き、黒猫は病を防ぐ魔除け、右手をあげた猫はお金を招き、左手をあげた猫はお客様を招くといわれています。
縁結び招き猫です!!
東京都台東区浅草の今戸神社の「縁結び招き猫」、向かって右がメス猫、左がオス猫のペアーになっています。この招き猫は男女の恋愛や縁だけに限らず、人間関係全般を円滑にするというご利益もあるそうです。
江戸末期の話で、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って言いました。”自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる”と。そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判だったと・・・。
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