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by amor1029
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★【写真】松田直樹選手の死去で新聞・TVが報じない"ある話

【【写真あり】】松田直樹選手の死去で新聞・TVが報じない"ある話とは?“悲劇の真相”とは?なぜ離婚に至ったのか?松田直樹選手に関する真相4記事を転載しました・・・詳細は「知識の泉 Haru's トリビア」をご覧下さい!!/キーワード:松田直樹 wiki , 松本山雅FC, 松田直樹 離婚


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松田直樹
“悲劇の真相”横浜M解雇で
「心の靱帯」切れた… 

2011.8.13
zakzak

サッカーJ1の横浜F・マリノスは12日、松田直樹選手(享年34)がマリノス時代につけていた背番号「3」を永久欠番に決定したと発表した。34歳という若さにもかかわらず急性心筋梗塞で亡くなった悲劇の裏には、偶然とはいえない知られざる出来事が重なっていた。

マリノスはこの日、「松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証しとして、横浜F・マリノス在籍時に使用していた『3』を永久欠番とすることを決定した」とのFAXを報道各社に送信。J1初の永久欠番がここに誕生した。松田選手の功績からすれば至極当然のことだ。しかし「34歳のアスリートがなぜ、心筋梗塞で亡くなったのか?」という疑問は払拭されていない。

松田選手が昨オフにマリノスから解雇されたことによって、「心の靱帯」が切れるほど大きなショックを受けていたことは多くの関係者が口にする。松田選手本人も「自分が松本のチームで果たして務まるのか…」と不安を吐露していた。

J1ではシーズン初めに、全選手に「心臓の検査」が義務づけられている。もちろんこれは各クラブが費用を負担するものだ。しかし、松田選手の場合、JリーグからアマチュアリーグであるJFLへ移籍し、今季初めには心臓の検査を行っていないのだ。「今思えば、それが本当に悔やまれます。強制的に検査をさせておけばよかった」と後悔するサッカー関係者も。

松田選手は松本と横浜との二重生活だった。自ら運転する車で往復4時間以上かけて移動するのは、決して楽なものではない。また7月30日には、“古巣”というよりは自分に解雇通告をしたチームといえるマリノスの試合を、あえて横浜に出向いて観戦している。この時、所属する松本山雅では出場停止中だった。

JFLで松田選手と対戦した多くの選手たちから「とても辛そうにプレーしていた」という声も挙がっている。松田選手の試合を観戦した日本協会関係者も「松田らしさは全くなかった」。J1時代のプレーぶりはみられなかったという。そして松本は31日に練習試合、8月1日はオフとなり、2日に悲劇が起きたのだ。

愛するマリノスから解雇通告、J1なら受けるはずだった心臓の検査も受けなかった。そして松本と横浜を往復する二重生活のストレス。まさにこれから第2のサッカー人生を展開しようとするところで、松田選手は逝ってしまった。遺体と対面した多くのサッカー選手全員が「ホントに笑顔なんです。これ以上ない笑顔。それが救いでした」と話していたが…。






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元サッカー日本代表
松田直樹選手の死去で
新聞・テレビが報じない"ある話"とは

2011.8.12
cyzo

8月4日に急性心筋梗塞のため死去した、サッカー元日本代表でJFL松本山雅FCのDF松田直樹選手。34歳という早すぎる死は、サッカー関係者だけではなく、世間にも大きな衝撃をもたらした。9日に松田選手の出身地である群馬県桐生市内の斎場で営まれた告別式には、2002年の日韓W杯で チームメートだった中田英寿氏や監督として率いたフィリップ・トルシエ氏らも参列。 サポーターのために設けられた焼香台に並ぶ列も告別式が終わるまで途切れることはなかった。

新聞・テレビでは松田選手の功績を称える記事が並んだが、サッカー担当記者の1人は、「亡くなっているので、記事は美談で彩られていますが、記事の行間を読み解いていくと、彼の"問題児ぶり"が分かると思う」と語った。

まず、トルシエ監督や横浜F・マリノス時代の木村和司監督とも確執。「サッカー小僧な半面、目上の人に対する態度や、キレたら誰にも止められないところもあった」(同記者)と明かす。そんな松田選手の葬儀・告別式の映像を見て、誰もが不思議に感じたのは、喪主が妻ではなく、母、正恵さんだったことだ。

「実は松田さんは昨年に奥さんと離婚しているんですよ。奥さんとの間には3人の子供がいて、離婚したのは3人目の子供が生まれてすぐ。親権は奥さんで、亡くなった日には子供を連れて会いに来たそうです。ただ、葬儀や告別式ではその姿を見ることはありませんでしたね」(サッカー関係者)

定期的に家族で交流はあったというが、決して円満な離婚ではなかったという。松田選手を知る人物が「亡くなった方に鞭打つワケではありませんが......」と前置きした上で、次のように語る。

「離婚理由は松田さんの度重なる女遊びだそうです。ワイルドな風貌の松田さんは女性ファンが多く、熱心な人は連日、練習場まで駆けつけていた。そのなかで好みのタイプの見つけては、食事に誘ったり、いろいろしていた。そうしたことが積もり積もって離婚ということになったのでしょう」

どうやら松田選手は、ピッチの中でも外でも"破天荒"な、魅力溢れる人物だったようだ。







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故・松田直樹選手の
告別式に元妻が
出席できなかった理由とは 

2011.8.11
女性セブン2011年8月25日・9月1日号

8月4日、心筋梗塞のため亡くなったサッカー元日本代表・松田直樹さん(享年34)の告別式が9日、故郷である群馬・桐生市の斎場で営まれた。中田英寿(34)や元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏(56)ら約1700人の参列者が早すぎる死を悼んだ。そんななか、焼香もせず、遠くからそっと手を合わせる女性がいた。それは、昨年8月、松田さんと離婚した元妻・A子さんだった。

離婚後、3人の子供たちを連れて、神奈川県内の実家で静かに暮らしていたA子さんは、知人から、松田選手が練習中に倒れ、松本市内の病院に搬送されたと知人から聞かされた。A子さんは、すぐに子供たちを連れ、長野へと向かった。

しかし、待っていたのは思いもかけない対応だった。A子さんの知人はこう明かす。

「病室前で、松田さんの母・正恵さんから、“あなたには病室にはいってほしくない”と面会を断られたそうです。それでなんとか子供だけでもとお願いして、子供たちは父親と対面を果たせたんです」

生死の狭間にいた松田さんの前で繰り広げられた元嫁姑の激突。松田家を知る人物はこう話す。

「正恵さんにしてみれば、息子がこんなことになったのには、A子さんとの離婚問題も影響したのではと思っているんです。ですから、息子を苦しめたA子さんに対し、“あんたに死に水は取らせない”という思いだったのだと思います」

しかし、これにはA子さんも大きなショックを受けた。翌3日に一度、実家へ戻ったA子さんだったが、4日、“どうしてももう一度会いたい”と再びひとりで病院へと向かう。道中、彼女は一度だけ時計を見た。時刻は午後1時6分。A子さんは、そのときの思いを、こう語ってくれた。

「運転をしながら、ふと“ああ、もうダメかもな…って思って、時計を見たら、ちょうどその時間だったんです」

午後1時6分、松田さんは息を引き取り、帰らぬ人となっていた。病院に着くと、亡骸となった松田さんへの面会だけは許された。病室にはいると、トレードマークの背番号3のユニホームを着た彼の姿があった。

「すごく笑顔で、いい表情をしていました」

そう涙を流しながら、松田さんとの最後の時間について語ってくれたA子さん。一方、正恵さんに取材を申し込むと松本山雅FCの広報を通じて、「お断りもしていないし、最終的には、お会いにもなっている」との返答だった。

冒頭の告別式、子供たちは出席したが、A子さんの姿はなかった。

「正恵さんから“葬儀には来ないで。参列は子供たちだけ”とA子さんはいわれたそうです」(前出・A子さんの知人)

人知れず松田さんを送ったA子さんは、いまの気持ちをこう話してくれた。

「子供たちが頑張っているのに、私がいつまでもメソメソはしていられません。本当に、子供たちがいるだけで、元気づけてくれます」――真夏の太陽の下、3人の子供たちは、パパの立派な葬儀をしっかりと目に焼きつけていた。







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「松田直樹」
急死の引き金!?
離婚ストレスと元嫁姑確執 

2011.8.12
j-cast

「なでしこジャパン」をきっかけに女子サッカー熱が盛り上がっているようだが、8月10日(2011年)の対韓国戦を快勝したサッカー日本代表の強さには、目を見張るものがあった。試合開始前、8月4日に練習中に急性心筋梗塞で急逝したJFL松本山雅FCの松田直樹(享年34)への黙祷が行われた。彼の元日本代表としての活躍やサッカー魂が讃えられ、「週刊現代」は表紙に「哀悼 元日本代表松田直樹」と入れた。

しかし、私が知る限り、彼が妻と離婚して3人の子どもと離れて暮らしていることは、どこも簡単に触れているぐらいである。そんな中で、「女性セブン」は「『危篤の病室前』元嫁姑激突『あんたに死に水は取らせない』の凄絶」を掲載している。今年の春にも、キャンディーズの田中好子(55)の早すぎる死を日本中が悼んでいるとき、「週刊女性」は夫・小達一雄に子どもまでいる愛人のことを書いて議論を呼んだ。昔から、女性誌のほうがこうした夫婦間のスキャンダルを取り上げるとき、切れ味鋭く容赦がない。

セブンによれば、二人が結婚したのは98年で、人もうらやむほどのおしどり夫婦だったという。転機が訪れたのは昨年11月。松田は16年間在籍していた横浜F・マリノスから戦力外通告を受けたのだ。松田はあくまでも現役にこだわった。マリノスからコーチ就任の打診があったが断った。しかし、奥さんのほうは、子どもの将来のためにも、いろいろな選択肢を考えてほしかったが、聞く耳は持たず、口論になることもしばしばだったという。それ以前から、生き方の相違で心が離れ、二人は離婚へ向けて話し合いを始めていたのだそうだ。

そこへ姑が口を挟むようになった。松田家の知人がこう語っている。「『うちの嫁は派手でブランド好きで、直樹の金で贅沢をしてる』って親しい人には愚痴をこぼしていましたから」 財産分与や子どもの親権問題で折り合わず、離婚までに約2年を費やし、子ども3人は妻のほうが引き取った。

そして8月2日、元夫の危篤を知った彼女は子どもたちを連れて長野県の病院へ向かうが、元姑に「あなたには病室に入ってほしくない」と面会を断られ、頼み込んで子どもたちだけを父親と対面させた。4日に、彼女は諦めきれずもう一度車を駆って病院へと向かう。今度は面会が許され松田に会えたものの、すでに彼は帰らぬ人となっていた。告別式の日、子どもたちは出席したが、元妻の姿はなかった。

有名無名を問わず、どの家庭にでもある嫁姑問題である。だが、サッカー一筋に打ち込んできた松田という人間にも、こうした私生活上のトラブルがあったことを知ることで、私には彼が身近に感じられるようになった。年齢とともに衰えていく肉体、現役へのこだわり、離婚などがストレスとして蓄積され、心筋梗塞のトリガーになったのではないか。

そういえば、伊良部秀輝(享年42)が自殺したのも、奥さんが彼のもとを離れていってそれほどたたないときだったという。女は離婚や夫が亡くなっても精神的に怯まないが、男は一人になるとからきし意気地がない。長生きしたかったら「たのしみは春の桜に秋の月夫婦仲良く三度食う飯」(五代目市川団十郎)ですぞ。



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by amor1029 | 2011-08-14 20:54 | スポーツ